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タカラヅカのショーはドレスで決まる▽宝塚宙組『Délicieux(デリシュー)!-甘美なる巴里-』

 ひー。楽しかった。
 よく分からない幸せ感に満たされて、観劇帰りにデパ地下でお菓子を山のように買い込んでしまった。タカラヅカのショーって本当に人生のデザートだよなあ、なんてしみじみ思いながら。
 不要不急とはいえないけれど、こういう気晴らしや楽しみがなかったら、いつか息ができなくなってしまうかもしれない。宙組の『Délicieux(デリシュー)!-甘美なる巴里-』は、つつがなく続いていく日々に欠かせない「デザート」であり「気晴らし」だったと、パンデミックを知ったいま、実感した。

 おなじみのシャンソンが、現代風にアレンジされて、とぎれることなく歌い繋がれていく。大階段が登場したり、舞台上に巨大なデコレーションケーキのセットが登場したり、マリー・アントワネットがスイートなお茶会を開いたり、キャンディケーンが踊り出したり…。かと思えば、夜の秘密クラブ? ではサディスティックな官能の宴が…(この場面のあり方には疑問が残った。後述します)。息つく間もなく、衣装や役柄を変えて次々登場するタカラジェンヌたちに見入ってしまう。いにしえの『モン・パリ』にも、みんなこんな感じで夢中になっていたのかもしれない。

 プログラムで演出の野口幸作さんが「真風涼帆にはシャンソンが似合う」と書いているけれど、本当にその通り。なぜなんでしょうね。ゆったりとしたクラシックな空気をまとっているからかなあ。
 真風さんだけじゃない。「芹香斗亜にも」シャンソンが似合う。個人的な印象だけど、二人とも星組時代に「タカラヅカシャンソン」をたくさん浴びていたからとか。安蘭けいさんの歌とかね。

 こう書くと、王道の宝塚レビューを想像するかもしれないけど、そこは大分違う。クラシックな感じはほどほどで、「え?」と思考が止まってしまいそうな妙な感じもときどき。
 例えば、歌詞はちょっとヘンです(笑)。およそ歌詞とは思えない語句をおなじみのシャンソンのメロディーに乗せていたりして、譜割りにもちょいちょい違和感がある。
 選曲だってそうだ。大階段を使っての黒燕尾の男役群舞。階段の中央にいる真風さんにスポットが当たると、よりにもよって「パリの散歩道」のメロディーが流れてくる。数年前に日本に住んでいたほとんどの人が、聴いた瞬間に羽生結弦さんの姿を思い出すであろう、あの甘ったるいイントロ。何度見ても心の中でクスッとしてしまう。
 それはダンスについてもいえる。黒燕尾をバリッと着た男役さんたちが、突然ペアになって踊り始める。もちろん有無をいわさずカッコいい場面のはずなんだけど、決めのポーズのところで、全員で声をそろえて「Ah...」とため息ついたり…。その一瞬は、やっぱり心の中で笑ってしまう。
 でも、この違和感が妙に心に残るから困ってしまう。「ちょっとヘンだけどクセになる」のだ。思えば、わたしが初めて宝塚歌劇にハマったのも、そういう違和感があったからだったし、意外に、こういうところが新たなタカラヅカファンの発生装置になっている…。ような気もしてくる。宝塚ビギナーの方がこのショーを観てしまったら、かなりの確率で忘れられなくなると思うんだけど、いかがでしょう。それが、「スペクタキュラー(spectacular)」ってことなのかな。

 野口さんのショーに共通するそういうちょっとした違和感が、トップスターである真風さんに意外に合うというのも今回の発見だった。真風さんの男役としてのゆるぎなさ、カチッと決めちゃうところに、いい感じの抜けを作っているのかもしれない。狙っているのかいないのか、そこは分からないけれど、キライじゃないです、野口さんのショー。

 そして、今回の大きな発見は、やはり潤花さんでしょう。『デリシュー!』がこんなにもすてきなショーになったのには、この公演で宙組の新トップ娘役になった潤花さんの存在があると思う。ダンスが上手で、花のような笑顔がチャーミング。華やかで堂々としていて、どんな衣装もすてきに着こなしてしまう。どの場面でも発光していて、気がつくと目で追ってしまっている。

 雪組時代に出演した『ハリウッド・ゴシップ』(2019 作・演出/田渕 大輔)では、アメリカの田舎から出てきた女優志望の女の子を演じていた。劇中、女優を目ざしたのは「愛されたいと思った」からだと話す場面があった。舞台上の彼女が言うには不釣り合いな気がして不満だったのだけど、あのセリフには、どこに行っても「愛されるように」という送り出す側の願いが込められていたのかなと、劇場の隅々にまでとびきりの笑顔をふりまく彼女の姿を見ながら、少し思い直した。

(個人的な思い出を書くと、オープニングの銀橋に登場する場面は、『Tuxedo Jazz』(2007年、作・演出/荻田浩一)の壮一帆さんを思い出す。潤花さんと同じく、壮さんも雪組から花組へと組替えになって初めての作品で、トランクを持って花道から銀橋に登場し、愛音羽麗さんと悠真倫さん、そして客席の盛大な拍手に迎えてもらった。同時上演された芝居も『明智小五郎の事件簿―黒蜥蜴(トカゲ)』(脚本・演出/木村信司)で、この2作品を懐かしく思い出しました。ラストに明智さんのかばんが残るという設定も同じだった)

 ショーの芹香斗亜さんも、とても輝いていた。どの場面もすてきだけれど、なんといってもマリー・アントワネットです。砂糖菓子のようなドレスが本当に似合って、さらにアドリブの女王ぶりも発揮。最近の男役さんは、すてきに楽しそうに女役も演じてくれる。それが本当にうれしい。

 そんなことを書きながら、『デリシュー!』って、ドレスがめちゃくちゃすてきだったんだと気づく。
 プロローグ、潤花さんの茶色のミニが引き抜きで白のドレスになってしまう場面に始まり、カンカンの衣装、大きく背中の開いたデュエットダンスのブルーのドレス姿には、あまりの美しさに息をのんだ。芹香さんのアントワネットのドレス、ドレスではないけど、桜木みなとさんのコケティッシュでセクシーな女役もすてきだった。デコレーションケーキのクリームみたいなロケット・ガールズたちも。
 ソング&ダンスで見せるショーではないのに、こんなにもしあわせな気分になってしまうのは、もしや「ドレスがすてき」だからなのでは?
 「ドレスがすてき」ということは、女役が魅力を振りまいているということでもある。つまり、宝塚歌劇のショーは男役の見せ場が優先されがちだけれど、『デリシュー!』は女性のエンパワメントが炸裂してるってことか! 潤花さん、遥羽ららさんをはじめとし、男役スタアである芹香斗亜さん、桜木みなとさんもカウントしての話だけど、こんなにも楽しかった理由が少しわかった気がする。

  そういえば、名作として愛されているショーって、決まって娘役のドレスがすてきだった。
 例えば『Exciter!!』。オープニングの赤と黒の娘役のドレスがなかったら、あんなに心に残る場面になっていただろうか(娘役たちが大階段から揃って降りてくる場面の、パニエがさわさわいう音が忘れられません)。
 『Tuxedo Jazz』のオープニングで桜乃彩音さんが着ていた光沢のあるサックスブルーのドレスもすてきだった。靴もドレスと共布で作られていて、裾を翻しながら踊る桜乃さんの姿が今でも目に浮かぶ。あのドレスはその後もいろんな舞台で登場したけど、見るたびに「彩音ちゃんのドレスだ」と思って、ちょっとうれしくなる。
 最近だと、雪組全国ツアーで見た『ル・ポアゾン』のプロローグ、朝月希和さんが着ていたパニエでまあるくふくらんだ香水瓶のようなドレスも好きだった。思い出せば、まだまだたくさん出てくるはず。

 ドレスの美しさ、愛らしさが際立っていれば、男役の衣装とのコントラストが出て、舞台の絵面がスッキリときれいになるから、このレビューのタイトルにあげた「タカラヅカのショーはドレスで決まる」というわたしの説も、あながち的外れでもない気がする。
 それはともかくとしても、わたしはそういうショーが好きだし、ダンスがうまくてドレスが似合う女性が好き。自分のなかのそういう指向に『デリシュー!』で気づかせてもらったということになる。
 潤花さんが、これから先、どんなドレス姿を見せてくれるのかが楽しみだし、娘役男役を問わず、タカラヅカの舞台ですてきなドレスが見られますように――つまり、宝塚歌劇の舞台で「女性」が輝く場面が増えますようにと願ってやみません。

 タカラヅカのショーはドレスで決まる。もっとドレスを。

宝塚歌劇さんにお願い

 冒頭で「違和感がある」と書いた「フォレ・ノワール」の場面について書いておきます。

 何度も書いてきたように、『デリシュー!』が本当に楽しかったので、パンデミックの影響などで元気をなくしている人たちが観たら、無条件に元気になるのではないか。そういう人や、宝塚歌劇を観たことのない人たちに観てもらいたいし、劇場に行ったことのあるファンは遠慮して、そういう人たちを無料招待する日が年に一日くらいあってもいいんじゃないかと思ったのだけど(同時配信にして、入場料はそちらでまかなう)、この場面は、子どもたちには見せられないか。

 複雑な愛情関係を扱った大人の芝居やショーの場面は過去にもたくさんあるけれど、この場面には「女性を大切にする」という観点が欠けていたと思う。タカラヅカに関する予備知識がなくても、多くの方が楽しめるショーなだけに、この場面は残念に思った。

 マリー・アントワネットから、SMの女王様のイメージにつながっているのかなと思うけれど、男性(男役)が女性(女役)にムチを使う場面は見たくないし、女役同士がキャットファイトをする場面も、よほどストーリー上の意味がない限りは見たいものではない。
 それでも、この設定自体は、夜の秘密の劇場内で行われる「プレイ」だからということでギリギリ許容はできる。でも、女性をお菓子のように盛り付けたりする扱いは、女性をモノ化して消費する価値観に基づいたもので、「女性を大切にしていない」と思った。
(せめて、「これはお芝居ですよ」と、日常に戻らせてくれるような仕掛けがほしかった)

 退廃的、官能的、刺激的な大人の場面もいい。劇場であればこそ、そうした場面を見ることができるというのもわかる。でも、宝塚歌劇の中心的な観客層は女性です。演出家には、いま作っているこの場面を、女性がどう感じるかという意識を常に持っていてほしい。女性へのリスペクトは常に持っていてほしいと思います。

 たとえば、CMのフレーズじゃないけれど、「そこに愛はあるのか」というのも一つのものさしになると思う。愛にもさまざまなかたちがあるし、愛があれば何をしてもいいわけではないけれど、それがどんな愛かを考えることで見えてくることはあると思う。これは観客側にもいえますね。

 差別や性に対する社会の基準はアップデートしています。宝塚歌劇の演出家、劇団員は、全員が広い意味でのフェミニストであってほしい。宝塚歌劇は女性を大切にする団体であってほしいと心から願っています。


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