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「3」の壁を越えよう――暗闇の中、挑戦は続く

9月14日。第26節 等々力陸上競技場での川崎フロンターレ×ジュビロ磐田戦は0-2でゲームセット。ジュビロは、またしても勝点を積み上げられなかった。

26試合が終わり、4勝6分16敗。勝点18で18位(最下位)。得失点差は-20。残り試合数は8になってしまった。他チームとの差を考えると、残留するのは極めて厳しい数字だ。

シーズンが始まって、夏が過ぎ、秋になろうとするまでの長い時間を、こんなにも苦しい気持ちで試合を見続けることになろうとは! 

でも、ジュビロの昨シーズンの成績と、開幕までの準備を冷静に考えれば、妥当と言わざるを得ない結果なわけで。この状況を想像できなかったわたしが、やはり夢を見ていたということだと思う。

4月 「ジュビロが勝てない」
7月 「名波が監督を辞任した」 
   「ナナロスから這い上がれない」
8月 「ジュビロはこの7月にいい補強ができた」
   「今日も勝てなかった」
   「秀人も去って行った」
   「なんとか次の試合につなぐことができた」
   「新監督フェルナンド・フベロ体制がスタートした」
   「這い上がれない」

試合の印象や感想を、Twitterやnoteにこうしてときどき書いているのだけど、実はこのテキスト、松本山雅との開幕戦を観戦してから6か月以上、書き出しの一行を書き換えながら、下書きのまま更新し続けている。

文系ゆるサポなので、データの記録や戦術分析よりも、試合や選手、監督たちから物語を読み取ろうとする傾向があって、名波さんを失ったチームになんとか再生してほしいという気持ちと、あとは、自分の思いを整理したくて文字にしているのだけど、ここまで結果が出ずにズルズル落ちて行ってしまうと、当然ながら楽しい話にはならない。もう、ホントに『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』みたいになってきたし。

というわけで、ならば、チームによい兆しが見えてから公開しようと思ったら、そんな日が一向に来なかったという……(笑)。

試合から強い気持ちが感じられなくて、「選手たちは無心でサッカーと向き合ってほしい」というような、禅的、末期医療的なステージに切り替えて楽になろう……という境地に入りかけていたのだけど(笑)。フェルナンド・フベロ監督が就任してそろそろ1か月。結果は出てはいないながら、ジュビロのサッカーを変えようとしている意図はビシビシ感じるし、川又の復活でピッチの空気が変わったのは確かに感じたので、「まだ早い!」「生きろ!」「生き残る!」という強い気持ちを込めて、公開しようと思う。


フベロ監督就任――光のある方向が見えてきた?

今シーズン、3人目の指揮官となったフェルナンド・フベロ監督は、バルサのテクニカルコーチをしていたこともある、戦術家タイプの若き監督だ。パラグアイのリーグでは、短期間に4チームを上位にまで押し上げてきた逸材だという。

3人目のフベロ監督が指揮を執って3試合が終わったけれど、セレッソ大阪に0-2、サンフレッチェ広島に0-2、川崎フロンターレに2-0と、3の呪いにでもかかったように、3試合全て、1点も取れず、2点差で負け、勝点3を取れない状態が続いている。それに、今シーズンは3点以上取れた試合が一つもないのね。

いずれの試合も、3点を取れば勝てた。とも考えられるわけだし、「3の呪い」とは言わないまでも、「3」が今のジュビロの目標であり、超えるべき壁なのだと思う。

本気で呪いだと思っているわけじゃないけど、少しでもピッチに悪い兆しが見えると、悪い光線を浴びたみたいにチームの熱量と運動量がガックリ落ちてしまう怪現象は多くの人が体験しているので、みんなでメンタルトレーニングを受けるとか、坐禅の時間を取るとか、温泉に行くとか、お祓いをしてもらうとか、スタジアムを改修するときに移動した神社? をきれいにするとか、そういうこともしなきゃいけないんじゃないかとわりと真剣に思っています。

でも、問題のありかは別のところにある。

少し時間を戻すけれど、この数年来、名波監督とクラブに望んでいたことは、ただ一つ、サッカーのアップデートだった。

Jリーグは変化している。まず、リーグ全体を把握した上で、いまのジュビロ磐田というチームをきっちり分析し、リーグで戦っていくための基本戦術を徹底し、相手チームを研究した上で、相対的な戦い方をしていくこと。もちろん、体力、メンタルの強化など、細かいことをあげていったらキリがないくらい、やるべきことはたくさんある。

あまりにも基本的なことなので悲しくなるけど、名波サッカーはそういう要素よりも別のところ――フリーダムで面白いサッカーを目指していたのだから仕方がないと思っていたところもある。

たとえば、ジュビロの選手たちがスペースに走り込めないことの裏側には、選手の足下にピタッと入る「やさしいパス」信仰が強くあるのかもしれない。フィジカルの弱さ、細かな約束事がない、といった特色の背後には、チームのアイデンティティにかかわる、理想とするサッカー理念や、チームカラーといった、根深いものの存在があるんだとわたしは思っている。

ジュビロというチームのそういうところが好きなのだし、大切にしていってほしいという思いはもちろんある。でも、それには今のjリーグのサッカーに対応させていくことが不可欠だ。だから、本当は名波監督に、自身が勉強したり、テクニカルな人材を補充したり、勝てない理由をきっちり見直し、チームのサッカーを変えていくことで対応してほしかったのだけど、それは叶わなかった。

でも、フベロ監督の就任で、やっとサッカーのアップデートが始まったと思っている。シーズンの途中、それもこんなに追い込まれてからやることではないし、簡単なことではない。結果が出るのかどうかもわからないけど、いまはこの方向に進むのが唯一の選択肢。井戸の底のような真っ暗闇にいるけれど、進む先に光があると信じて――3でも9でもいい。点取っていきましょう!


監督交代劇を振り返る――名波浩から鈴木秀人へ

次に進むためにも、名波監督が去り、鈴木秀人監督もまたチームを後にした経緯を、自分なりに総括しておこうと思う。そこをしないと次には進めないのに、チームもサポーターも、まだ、よくない流れを完全に振り落とせていない気がするので…。

名波さんの後任は、それまでコーチとして支えてきた鈴木秀人さんが監督として上がることになった。

本来であれば、早めにチーム外から呼んだ新監督に任せたかったところだけれど、クラブ側が名波さんを慰留していたという事情が、少し話を複雑にしていたように思う。

クラブ側が新監督をどのタイミングで探し始めていたかは分からない。けれど、名波さんの監督としてのキャリアに傷をつけないようにという考えが、判断を遅らせてしまったのかもしれない。

さて。電撃退任をした名波さんを支えてきたヒデト監督は名波さんの基本的戦略を大幅に変えることはしなかった(本当はそれを期待していた)。でも、就任の会見で打ち出した「雑草魂」というキーワードも、今までのジュビロに欠けているものと感じたし、ヒデトらしくていいと思った。こうなったら、一つずつ問題だったところを修正していってくれたらいいと思っていた。劇的に変わることはなかったけれど、いいほうに向かっていると感じられたゲームもあった。

でも、その「いい感じ」が続かないのだ。

第21節アウェイ仙台戦、第22節ホーム湘南戦を見て、あまりの不甲斐なさに、自分の中の応援する気持ちがしぼんでいくのが分かった。

(また元に戻っちゃった。いや、もっと悪い状態になってしまってるじゃん。ディナモキエフからの熱烈オファーを受けて移籍したロドは、個の力で得点できるタイプだった。ギリギリに追い込まれたチームでは本当に力になるし、対戦したチームが恐れているのも感じた。そのロドがいなくなったのも大きかったなあ)

ジュビロ磐田を応援していく気持ちに変わりはなかったけれど、22節が終わって最下位。素人目にもわかるほどの戦術的欠陥を露呈し、根本的な修正もせずに順位を上げていけるほど、いまのJ1は甘いリーグではない。

しかも、手強い相手には滅法強かった「名波浩」というアビリティも、もうない。結構、ジュビロはこのアビリティ(求心力といってもいい)で勝点を拾っていたんだなということにも気づく。

お願いだから、
・ミスをなくす方法を、メンタル面から突き詰めて考えてほしい。
・今の守備システム(3バック)はすぐに変えてほしい。変えることができないなら、戦術アドバイザーを雇うか、監督を変えてほしい。

じゃないと、本当に降格してしまう。降格してしまったら、J2の状況から考えて、もう上がってこられなくなる。そのくらいの危機的状況だって、フロントは分かってるんだろうか。なんとかなると思ってるんじゃないの? なんとかならないよ。

うわーん。こんなこと言いたいわけないじゃない。

――ヒデトが監督を退任するという知らせが届いたのは、こんな泣き言を書いている頃だった。

ヒデトには、申し訳なかったという気持ちでいっぱいだ。名波浩の後の監督を引き継ぐということは、ある意味「名波リスペクト」戦略であり、とてもとても大きな決意がいることだったと思う。そして、1か月と少しという短い間で監督の座を退くということも、同様に大きな決断だったと思う。ひと夏が終わらないうちに、そんな難しい決断を2度もさせてしまった。

ロドが去ってからの、仙台戦、湘南戦は、メンタルが相当削られたと思う。今シーズンはゆっくり静養して、なんらかの形でジュビロに戻ってきてくれたらいいなと思うし、クラブもそういうふうに動いていると信じている。ヒデトのひと夏の監督は、サッカーチームの監督とは、なんと過酷な仕事かと改めて感じた出来事となった。


「伝説」の重さ

名波さんが、札幌や徳島の練習に参加し、監督と交流したというニュースを見たときは、やっとピッチに戻ってきてくれたと、本当にうれしかった。でも、当然ながら、ジュビロのことについては少しも触れなくて、『サッカーマガジン』の連載も何もなかったように終わっていた。

名波さん、今頃どうしてるんだろうか。ジュビロの試合はきっとどこかで見てくれていると思う。もし、見るのがつらいような状態であったとしても、チームのことは心配しているだろうし、責任も感じていると思う。

サポーターの期待を背負うのは並大抵のことではなかっただろう。とりわけジュビロ磐田は、「成績」や「チーム力」に見合わないほど、サポーターからの大きな「期待」を抱えているチームだ。

日本のサッカーが今ほど成熟していない時代に――いくつもの偶然が重なって、奇跡的にすごい選手が集まり、自由でゆるやかな空気の中で、面白くて強い遊び心のあるジュビロ磐田というチームができあがった。

そのチームは、日本サッカーの歴史に「ジュビロの黄金期」と呼ばれる時代を刻んだけれど、それは長く続かなかった。その理由をここで簡単にまとめることはできないけれど、伝説のチームを受け継がせていくためのメソッドがなかったこと、日本のサッカーが変わっていったことは大きな理由といっていいと思う。

けれど、多くの人がジュビロに「伝説の黄金期」を期待する。美しいパスサッカーを。強いジュビロを。何しでかすか分からないような面白い選手を。

選手たちは、身の丈に見合わない、大きな「期待」を背負わされることになる。

「ナニイッテンだよ、そんなの当たり前だろ」。そのとおり。それをはねのけなければいけなかったともいえるけれど、チーム力、選手力が落ちるほどに、その大きな期待はやっかいで御し難いものになっていったのかもしれない。

そんな淀んだ空気や重圧から救ってくれたのが、監督として再びジュビロに帰ってきた名波さんだったのだと思う。

ジュビロの選手たちが背負わなければならないサポーターの「期待」を、名波さんが受け止めてくれた。だから、選手たちはのびのびプレーができた。試合でそれがいいほうに作用することもあったけれど、だんだんと悪いほうに出てしまうことのほうが多くなった。なぜなら、選手たちは名波浩でも中山雅史でも藤田俊哉でも福西崇史でも高原直泰でもなかったから。

それに、何度も言うけれど、Jリーグのどのチームも、努力を重ねながら、変化していた。伝説のジュビロサッカーとはまったく違う、「堅守速攻」が主流のリーグになっていた。

これまで名波さんが、どれだけの「期待」を一人で背負ってきたかと思うと、せつない気持ちになる。

名波さんも最後の頃には、極限まで追い込まれていたんだろうなあ。昨シーズンが終わった段階で、野々村さんに「自信だけでやってきたような男が自信をなくしてしまったら、どうすればいい?」とまで言ってたくらいだもの(『Jリーグラボ』)。

あの言葉は本心だったんだと、今シーズン、何度も思った。今シーズンの名波監督は、発言にしても表情にしても戦い方にしても、昨シーズンまでとははっきり違っていたから。

「自信がなくなったんなら、ゼロから新しいサッカーを勉強すればいい」と思ったし、もう、ずっとずっとずっと、スタジアムに行くたびに背中に念を送り続けていた。「サッカーをアップデートして」と。

でも、それをするには、時間が足りなかった。

そんなこんなで、ジュビロはチームを立て直すことができないままズルズルと順位を下げ、6月の終わりには、名波さんが監督に就任して以来、最もひどいチーム状態にまでなってしまった。そして、6月30日。名波浩監督は、川崎フロンターレとの試合の後、辞任を表明した。

6月30日。フロンターレとの試合が終わり、名波監督はサポーター席のコールリーダーに向かい、その言葉を告げた。一番最初に告げたのがサポーターだったことが、らしいなと思った。名波にチャントを送れていたらよかったな。いや、そんな空気じゃなかったね。

記者会見はあったけれど、サボーターへのあいさつもなく去らせてしまったのは今も心残りだ。


名波浩という魔法

こうして振り返って書いているのは、名波さんとかクラブとか選手とか、誰かに現状の責任を負わせたいという気持ちからではない。

自分が、一人の応援者として、過去にきちんと向き合う必要があると思ったからだ。そして、クラブや選手にもきちんと検証してほしいという気持ちがある。ここにきちんと向き合わないでいたら、永遠にチームは同じパスミスをし続けることになると思うから。

名波さんには、いい夢をたくさん見せてもらった。

選手時代も監督時代も、名波浩は夢を見せてくれる人だった。

そこが欠点にもなってしまったんだけどね。

ナナミさんがいると大丈夫な気がしてしまうのだ(笑)。サポーターはもちろん、選手も、スタッフも、フロントさえも。みんなが魔法にかかったように。

(サポーターはともかく、フロントは夢を見ちゃいけなかったとは思う)

今シーズンのはじめを振り返ってみる。

プレーオフの試合を勝ち抜いての、ギ・リ・ッ・ギ・リのJ1残留だった。なのに、選手の入れ替えはほとんどなく、ロドリゲスを迎え入れただけでのスタート。他チームの補強ぶりと照らし合わせると、ちょっとありえなかった(笑)。誰の目にも「ヤバイ」と映っていたはずだ。

名波監督としては、「この結果を出したオレが残ったんだから、選手は誰一人やめさせられない。このメンバーでやり直す」とでもいった心境なのかと想像していたけれど…。

クラブのスローガンも去年と同じ「繋ぐ」だった。これには、めちゃくちゃ違和感があった。

「2018シーズンの失敗をやり直す」ことが今年のコンセプトってこと? いやいやいや、「繋ぐ」より、自分たちのサッカーを「検証」して「反省」しないで「前へ」進むことはできないんじゃ? サッカーは常に進化している。もちろんリーグも。サッカーを本気でアップデートしようよ。

名波監督も「今年はサポーターに恩返し」などと、謎発言をしていた。え??? 「サポーターのために」残ったということ?  自身の中に新たなモチベーションを見つけられないでいるのではないかという不安が大きくなった。


なんとかなるんじゃないかと思ってしまう病

なのに、シーズンが始まると、わたし自身、理由もなく大丈夫な気になっていた(笑)。

(確かに昨シーズンは、選手のけがが続いて不運だった。ロドリゲスは面白い選手で、大活躍をしてくれそう。負傷していた選手たちが戻ってきて、俊輔や嘉人がうまく機能し、チームの戦術がまとまり、相手チームを研究して対策を立てていけば、このメンバーで結構いいとこいくんじゃないか。ほかのチームは大幅に布陣をいじってるから、スタートダッシュがうまくいけば、けっこういい位置に駆け上がれるかもしれない。イーストウッドの『スペース・カウボーイ』みたいに!)

なんてことを本気で思っていた。まさか残留争いをすることになるとは思わなかった。夢を見てしまっていた。

ヴェルディとのプレーオフで勝ち、残留を決めたことで、チームとサボーターが盛り上がってヘンに達成感を味わってしまったのも、いま思えばよくなかったのかもしれない。

あのときは、「こういう戦いをすればいい」「大丈夫!」「16位でよかった」くらいの気持ちになっていたのだけど、今ならわかる。

やっぱり、何が何でも16位に落ちてはいけなかった。夢を見てはいけなかったのだ。


それは松本山雅戦から始まった

ホーム開幕戦の第1節、松本山雅戦では、現実の厳しさに直面した。

松本山雅がハードにくるのは想定内だったけど、あそこまでつぶしにくるとは思っていなかったし、それを目の前で見て、驚いた。全員中山か? というくらいの勢いで、誰かがボールを受けるそばからタックルが入る。川俣の1点で引き分けには持ち込んだけど、ああいうサッカーを目の前で見たのは初めてだったし、自分たちのサッカーをさせてもらえなかったことがショックだった。

今シーズン、J1に上がってきたチームと、やっと引き分けた開幕戦。「今シーズンは厳しい」と感じた。

(あの試合が、俊輔の出た最初で最後の試合になってしまったのも心残りだ。アウェイのマリノス戦の後半、アップをする俊輔を見ていた。ビブスを脱いでピッチに入る準備をする俊輔の背中に集まった観客席のものすごい熱気が忘れられない。結局は後退のカードは差し替えられ、下がってしまったときの落胆ぶりも)

松本山雅との試合からは、チームが学ぶべきことがたくさんあった。

まず、ジュビロ磐田というチームに対する特別意識を捨てる必要性を強く感じた。あのときの松本山雅くらいの、泥にまみれる気持ちがあったら、いま、最下から2番目という位置にいただろうか。

それ以降もなかなか勝てなくて、松本山雅戦に始まり、その後もいくつかあったダメダメな試合を、監督やチーム、選手がきちんと検証し、問題点の共有ができていないように感じたのも、けっこうへこんだ。

でも、そんな状況にまで落ちても、「なんとかなるんじゃないか」という根拠のない安心感みたいなものが自分の中に確かにあった。

(まだ始まったばかりだから。今シーズンも混戦だし。機能してきたらガッと上がれる。いい選手だっているんだし、っかけがあれば…)

病だった。
「勝てるんじゃないか、なんとかなるんじゃないかと思ってしまう病」。
「(ジュビロだから)勝てるんじゃないか、なんとかなるんじゃないかと思ってしまう病」。

わたしだけじゃない。サポーターや、クラブも選手も、みんながこの病に罹ってしまっているんじゃないかと思った。

過去の栄光と名波浩の存在が、心理学で言うところの「楽観主義バイアス」になってしまっていたのかもしれない。

うまく働けばいい結果を出すのだけど、その楽観的な世界がひとたびほころびると、今度は逆に、そんな現象があるのかどうかは知らないけど「悲観主義状態」に陥り、たくさんの失敗体験がフラッシュバックし、判断に悪影響を与えてしまう。

――というのは完全なる想像だけど、それくらい、名波浩という人はクラブにとって大きな存在で、誰もがリスペクトしていた(それは今でも変わらない)。だからこそ、J2からJ1にチームを上げて救世主にもなった。

同時に、依存してしまっていたのだとも思う。クラブも選手もサポーターも。ナナミさんに。


愛ゆえのズレ

愛が問題を見えにくくしていたこともあったと思う。

名波さんが監督だった頃から、試合になると、考えられないようなミスが必ず出た。点が入らない。押し込まれると焦ってしまう。戦術も見えない。チームが機能していないともっとも感じていたのは、試合を見つづけていたサポーターだったと思う。

でも、名波監督は、チームの雰囲気はいい、選手たちは下を向いていないと言っていた。

これほどつらいことがあるだろうか。

何がいけないんだろう。ほんのちょっとのズレかなあ。

プレーについて、チームのあり方について、戦術について、監督やチームと選手の間にズレが生まれていたと思う。監督は、気づいていないか、気づかないフリをしていたか。

でも、実際のところ、選手たちはどうだったんだろう。選手たちの中には、それぞれ訴えたいこと、思うところがあったんじゃないのかな。でも、あまりにも大きなナナリスペクトがあるから、気づいていても言えなかったり、やっぱり気づいていないフリをしてしまっていたんじゃないかと思う。

もちろん、監督に対して言いたいことがたくさんあるのなんて、どこのチームにもあることだろう。でも、黄金期のジュビロには、時には選手が監督に要求するくらいの自由に発言できる空気があり、名波さんがめざしたのもそんなチームだったと思うから、監督とチームの間にズレが生まれてしまっていたとしたら、それはちょっとせつない。

しかも、愛ゆえ、リスペクトゆえのズレ。

サッカーはメンタルが大きく影響するスポーツだから、少しでも引っかかりがあると、とたんにうまく行かなくなるし、ここぞというときに、生まれてしまった「ズレ」がボールにあらわれてしまう。

もちろんこれはすべて、「こんな状態であってもおかしくない」という、わたしの想像ですが。


新監督フェルナンド・フベロとともに

とりとめのない振り返りになってしまったけれど、そろそろまとめよう。

残留はとても厳しくなってしまったけど、これからできることを考えてみたい。

一、 まずは、名波さんに感謝しつつ、ちゃんとお別れをしようと思う
ありがとう、名波。

名波ジュビロ、めちゃくちゃ楽しかったよ。いいこと悪いこと含め、信じられないようなことがたくさん起こった。たくさんのドラマを見せてもらった。

最高にすてきな気分にさせてもらったし、最高に楽しかった。その感謝の気持ちはずっと変わらない。

二、 そして、新しいサッカーをめざそう
名波さんは最後の会見でこんなことを言った。

「チームマネジメントは自分自身も自信を持っていますし、コミュニケーションというところでも、良かったと自分では思っています。ただ、勝たせる監督ではなかったなと。そこが自分の今後の課題だなと思っています」

「つなぐ」サッカーの意味をもう一度考え直してほしい。意味のないパス交換は、決して「3点」にはつながらない。勝利へと「つなぐ」サッカーをめざしてほしい。足下に入るやさしいパスより、選手を走らせるクールなパスを。

大変なことはわかっているけど、新しいジュビロのサッカーを作り上げてほしい。

三、 サポーターも変わる
今シーズン「あるある」の一つが、前半に失点し、チームの士気が目に見えて下がってしまうこと。克服しなくてはいけない壁だけれど、これはサポーターの問題でもある。

失点してしまったとき――選手以上に覇気を失っていなかっただろうか。ピッチにいる選手たちから、観戦席の気分の落ち込みがはっきり見て取れたと思う。その空気が選手にも伝わっていなかっただろうか。

0-2のスコアで負けていることが非常に多い今シーズンだけれど、毎試合、絶対に3得点以上ゴールを決めるつもりで戦ったらどうでしょう。3点取るんだから、先に1点や2点取られても平気。結果、勝点3もついてくる(笑)。もちろんサポーターもそのくらいの強い気持ちで、信じて応援をする。

たとえば、応援の仕方を変えてみるというのもいいと思う。

お世辞にもカッコイイとはいえないジュビロのコール。個人的には「ジュビーロ磐田」の間延びした遅いテンポと、ちょっと前取りになって音と合わない太鼓のタイミングがいつもしっくりこない。「ジュビロ磐田」と、スタッカートにして、全体をテンポアップするとか。

あと、ホームの選手入場の直前に「名波浩 アレアレアレアレ浩」のチャントが入るのが大好きだし、めちゃくちゃ上がるので、「名波浩」のところを「ジュビロ磐田」にして使うのはどうでしょう。

こんなところに書いても届かないしれないけど、思いついたので書いてみました(笑)。

四、 もう夢は見ない
名波浩がいなくなったということは、ナナミの夢や魔法の助けは借りられないということ。選手たち、サポーターは自力で何とかするしかない。

だから、もう夢は見ない! 今は!

(いつかはまた夢を見られるようにと願いつつ)

五、 フベロ監督を信頼する
名波浩の作り上げてきたものを「繋ぐ」ことが大命題と考えていたクラブが、その方針を捨てた。 秀人監督の後任に、「残留請負人」的な監督ではなく、きっちりチームを作り上げるタイプのフベロ監督を選んだということは、中期的にジュビロのサッカーを変える方向に舵を切ってきたと理解している。そこは素直にフロントを評価したいと思う。

フベロ監督を信じて、目の前にある試合だけに集中してほしいと思う。


明日晴れるか

何がいけなかったのか。そして、これからどうすればいいのかと考え続けた半年間だった。

時間はかかってしまったし、もう、本当にギリギリのところまで来てしまったけど、暗闇の中でも、進むべき方向だけははっきり見えていると思う。

「なんとか残留してくれ」と、今は祈るような気持ちだ。

ときどきふっと考えてしまうけどね。

名波さんは、元気にしているだろうか。秀人さんの体調は?

名波家の一家団欒に平和は戻っただろうか。まさか、また、ときどきリビングに籠もったりして家族を困らせたりしていないよね? 

長女ちゃんや、ちびちゃんからは、どんな言葉が告げられたのだろう。

ところで、「オレは昭和の男だから」とか言って、自分が変わろうとしないのはホントによくないと思う。ガラケーを卒業し、SNSくらい始めてください(笑)。

日本中、世界中のチームを訪ねるつもりで、新しいサッカーをたくさんインプットして、本気で学んで、自信をつけて、実績も積んで、またジュビロに帰って来てください。

今シーズンのはじめに言ってくれた「恩返し」、まだしてもらってないから。

ナナミさん。本当は、どこかで監督修行をしてからジュビロに戻ってきたいと考えていたのかもしれない。でも、緊急事態になったときに、すぐに監督として帰ってきてくれた。あのときのうれしさは言葉にできません。本当に感謝しかない。

ダラダラと書いてきたけど、結局、このテキストって、ナナミさんへの手紙だったような気もする(笑)。ずっとナナロスだったのかなあ、わたし…。

でも、みんな、少なからずそんな気持ちを引きずっているんだと思う。ジュビロ磐田というチームと、ナナミさん、ヒデトさん、去っていった選手たちへのこじらせ過ぎて言葉にできない気持ちとともに、今シーズンは応援していくことになると思う。

タイトルに使った「暗闇の中、挑戦は続く」のところは、小沢健二さんの「戦場のボーイズ・ライフ」からの引用です。

力がほしいときに、音楽は力を与えてくれる。わたしの場合は、オザケンが多いかな。わけても、この「戦場のボーイズ・ライフ」と「強い気持ち・強い愛」は、最強の応援チャントで、「ここぞ」という試合のときには、心のなかで歌っています(笑)。

あ。天皇杯のエスパルス戦がもうすぐ始まる。

勝とう。

生きよう。

勇気を出して歩かなくちゃ
宝物をつかみたいから
心すっかり捧げなきゃ
いつも思いっきり伝えてなくちゃ
暗闇の中、挑戦は続く 勝つと信じたいだから
(小沢健二「戦場のボーイズ・ライフ」より)

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