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一手間かける大切さ

毎朝ウォーキング途中で行く神社は海の側の通りから一つ入った場所にある。車を横付けしてすぐにお参りできるのは、整地された時に鳥居と本殿の間に道路が通っているからで、珍しい作りになっている。

そのすぐそばにもう一つ神社があるのだが、小高い丘の上に立ち、賽銭箱は靴を脱いで上がらないといけない本殿の前。毎朝その二つの神社にお参りをしてわたしの一日が始まる。

ウォーキング用のシューズはきっちりとひもを結んでおり、脱いで結び直すのはとても面倒なのだ。他の参拝者のように、鈴だけ鳴らしてお参りして帰ってもバチは当たらないだろうと思ったこともある。だが、心がざわついた。それこそ「一手間」かけることが生き急がない秘訣なのかもと思った。

忙しい毎日を送る人にとっては、靴を脱ぎ履きするだけでも時間の無駄だと思う人もいるかもしれない。かつての私がそうだったように。

夫と離婚してから、子供の世話と仕事に追われていた私には時間の余裕も、心の余裕もなかった。仕事が終わるとすぐに買い物へ行き食事の支度、そして子供達の習い事の送り迎えや、学校行事の参加など毎日が目まぐるしく過ぎていた。それは娘が高校を卒業するまで続き、大学に入り一人暮らしを始めた娘には料理の一つも教えてやれなかった。

家を出る前、肉じゃがと魚の煮付けだけはなんとか教えてやれた。それは私が母から教わった唯一の料理だったが、忙しい日々で簡素化され便利な調味料を使えばなんでも簡単にできると、アレンジしてしまっていた。

料理の一手間は、繊細な和食には欠かせない。おでんの大根の隠し包丁や面取り、水炊きをするときのアク取りなど、面倒臭い時には省いてしまうことも、きっちりやればやるほど味は断然美味しくなる。

裁縫の時の一手間は、縫う前にアイロンをかけると縫いやすくなったり、糸をブンブンと鳴らすことで絡みにくくなったりする。それを私は母から教わっていたのに、娘には伝えられていないのだ。今ではほとんど裁縫をすることもないのだが。

私の母も忙しい人生を送っていた人だ。高度成長期時代に結婚・子育て・仕事をこなしていた。結局定年まで働き、その後は孫と一緒に余生を過ごしていたが、常に動いている人。でも一手間は惜しまなかった。

私は子育てをする時に、忙しいあまり省いてしまったことが多かったのかもしれない。子育ての一手間とは心の余裕によって作られ、それが子供に受け継がれていく。

子供も成人し、独立しているので子育てというものには遠くなったかもしれないが、この思いだけは伝えておこうと思った。どんなに忙しくても一手間かけたものは価値がある。忙しいからこそ、立ち止まって考えること冷静に判断すること流されないことが大事なんだ。一手間かけることを面倒がらず、立ち止まれる勇気を持つことも大事。そのためには少しの心の余裕が必要なんだ。そのことを、次の休みには娘に伝えに行こう。

神社の境内を歩きながらそんなことを考えていた。

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