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7.「しあわせの哲学」(西 研・著)から 楽に「幸せ」を手に入れようとして反省した話

「人が元気に喜びをもって生きていくために必要な条件は何か」
つまり「しあわせの条件」を一緒に考えましょう。
テキストの「はじめに」に、こう書いてありました。

私はまたしても、この手の文句に飛びついてしまった。
「しあわせの条件」があるんだ!
それを教えてもらえる!
それを実行しさえすれば、幸せになれる。
浅はかな私は、このように、この種のテキストを購入してしまうのです。

そして、結論
「しあわせ」は売っていません。
「しあわせになる how to」 もパッケージされて、書店に並んでいるわけでもありません。

という事を学びます。

そんなことは、チルチルミチルが、青い鳥を探していた頃から、わかっていたはずなのに。
どこかに、幸せがあるはず。
そして、どこにあるのか、誰かが教えてくれるはず。
と、何かにすがってしまう。

この発想が、既にだめなんです。
他人に教えてもらえる「幸せ獲得法」はないのです。

うーん、わかっているはずなのに。
なのに、なぜ私は、こう何度も何度も、人生攻略系のテキストに手を伸ばしてしまうのか。

今回のテキストでは、哲学的考察を進めた結論として
「自分の軸」が出来上がると、人は抑圧されない自由を感じ、しあわせな人生を歩める
というような事が書かれていたものの、
その納得のいく「自分の軸」は自分で見つけるしかありません。

こうして、結局、私が得たのは
幸せとは手に入れた結果ではなく、行っている状態であると。
捕まえた鳥が、何か魔法を起こしてくれるわけではなく、
真剣に、そのアドベンチャーをやっている状態が幸せであると。
非常に、一般的な結論です。。

大変な思いをして何かを手に入れ、
なのに、その何かは、
手に入れた瞬間から、どんどん魅力を失っていくという、
このジレンマはもう、昔から言われている真理であります。

このたび、ノーベル物理学賞を受賞された、
真鍋先生は、「好奇心」という言葉を繰り返し仰っていました。
先生は賞を獲ることをゴールにして、研究されていたわけではないのです。
日々、「情熱」を傾けられることがある。
この状態が「幸せ」であり、
それは人から教えてもらえる事ではないのです。
なぜなら、人によって違うから。

もう、50過ぎて、
まだこんな事を言っている自分は、
ほぼほぼ絶望に近い状態なんですけど、
人が生きる気力を、最も失ってしまうのが、この絶望だそうです。

次回以降、絶望死が増えているという「無理ゲー社会」(橘 玲・著)
について考察したいと思います。


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