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①真の自立

こんばんは。
年も明けて今年は良い年になりそうなので
このタイミングで愛すべきD君との物語を少しづつ自虐満載で書いてみようと思い立ちました。お互いのビジネスプロフェッショナルとしての生活には影響のないようにひっそりと。公私もくそも境目はほとんどない二人ですが、あえてプライベートでのパートナーシップだけ切り取って自分も含めて楽しもうと思うので、こんな人もいるのだなぁ、こんな日常もあるのだなぁ、というレベルでくすくす笑っていただけたら幸いです。

さて。
私は2008年11月に一度目の結婚をし、2児をもうけ、2014年11月に離婚を決意しそこから約10年、シングルマザーとして二人の娘の子育てをしてきました。
大学時代のご縁で元夫とは本当に全てが一緒、交友関係も好きなことも重なることが大部分でとても良い時間を過ごしました。が、今振り返るととても共依存的な関係だったと思います。お互いが自分にないものを求めすぎ、自分の土台がまだ不安定な中、支え合っていました。私は自分の故郷や仕事を捨てて、元夫の宿命であった地方での親の会社の事業承継というものに人生をかけ尽くそうとしていました。自分のアイデンティティが、妻・嫁というものに限られてしまい、母になった後も、我というものの確立、自分の足で立つ感覚というものがないまま保護されて生きていました。周りから見ると、豪邸に住んでグランドピアノを毎日弾いて庭でハーブを育てて毎日食材買い物して料理して。有閑な人生だ、と思われていたかもしれません。毎日毎日葛藤していたのに、傷ついて苦しくて苦しくてなんとか毎日を生きていた時期もあったのに、静かに妻・嫁・母を全うしていればよい、あなたみたいな人が外で(社会で)輝く必要はない、そんなことを色々な人に言われました。これは依存の時期です。我慢もたくさんしたし努力もたくさんしたし、自分を成長させてくれる経験でした。

色々事件があったあと(これは書けないので割愛)、一人で子供たちを背負うことを決意してから、私は変わりました。元々専門職としてのキャリアがあったので、その道に戻り、フルタイムで仕事をしながら幼い乳幼児を一生懸命世話する生活。子供が病気になっても病児保育に預けて仕事する、出張の時はシッターさんやご近所に頼む、とにかく一人でできない部分は周囲に頼りプロフェッショナルとしてしっかり信頼を得るため、成果を出すために必死でした。夜寝る前には娘たちの寝顔を見ながら、微笑み、あなたたちを立派に育てる、そのために私は頑張る、と自分で自分を励まし、ほんとほとんど寝る時間のない生活でした。ただ、初めて、自分の足で立って生きている感覚を持てていて、忙殺されながらも非常に充実していたのを覚えています。きっと毎日毎日、すごいスピードでいろんな課題を処理していって、成長スピードが加速していたのだと思う。数年して、子供たちの教育のことを考え東京に戻ってくることにしました。

そこからの波乱(これも書けないので割愛)は省略するとして・・・。
東京に戻ってきてから2年位してから、今から5〜6年くらい前ですかね、今のパートナーD君に出会いました。同業出身者ということもあり仕事関係の交流会的なものでご縁があって、お食事に行って数回デート。お互い離婚していてそれぞれ子供も二人いて、仕事人間だからか当時はお互い家庭というものに対してすごい距離というか怖さがあった。また家庭を築くとしたら?私の子供達から思春期に邪険にされたら傷つくからそれは嫌だなぁと言われていた。ふ〜ん、、、背負う気ないんだと思ってたら、最後のデート直後くらいにコロナ到来。それどころではなくなり3年くらい完全にお互い放置でした。一切連絡もとってない。存在忘れてた。その間私は防音室借りてピアノに明け暮れていたりコンクールで優勝したり世紀の大恋愛をまたしたりで再婚寸前で長女との確執、破談を経て、傷心期間。何を糧に生きたらいいのかわからなかった時間を過ごしていました。息をすることと仕事と最低限の家事だけしかできなくて子供たちは完全に私の両親に投げてました。ピアノすら触らない数ヶ月。限られた人にしかこの時の真実は話していないから謎だったと思いますが、正直どん底でした。プロとして自立して長年かけて仕事でポジションを確立してきたので生計は成り立ちはしていましたが、心身ともにボロボロでした。体重43kgだよ、どんだけ。。。こんなに精神的にも経済的にも自立している私が、すべてのバランスを崩すことなんてあるんだ・・・とちょっと自分でもびっくりでした。

そんな中、ある日D君から連絡が来ます。何事もなかったかのように。彼は「ふと」自分のペースで、何かが降りてきた時に即行動し、絶対に自分の目的を果たすコミュニケーションができるので、嫌な気も全くせずそこからまたデートが始まります。
会わない間にお互い危機と試練に対応し課題をクリアし成長していました。子供達も大きくなり、D君の経営する会社も大きくなり、私達の新居のスペースも大きくなり、、
これからの人生について語り合い、、、だすとあらまぁ大変。
孤独の形が同じくらいな人と、人は寄り添いピースがはまり一緒になるとよく言います。
まさに、です。お互いの孤独と成熟とのタイミングがバッチリ合うってこういうご縁のことを言うのか、と。気づいちゃいました。

いろいろな人生の課題を経て、真の自立を果たしたレベルに到達すると、ほとんどすべてのことは自分(+周囲の方々の力)で解決することができます。なんの不満もなく人生を謳歌することができます。独りでも幸せ。辛いことはたくさんあるけど乗り越えられる。そうなった時に初めて、人はプラスアルファの人生のご褒美をいただけるのかもしれません。
隣にいて自然体でとても心地よくて相手のために変わる必要もなくてただあるがまま、お互いを認め合い尊重し合い気遣い合い異性として愛し合うことができる存在がそばに降ってくる。約3年のブランクがお互いの信頼を急激に積み上げていたってことです。

長いな。自立について書いてしまった。あまりD君の人間性に触れられなかったので、次はなぜパートナーとして相応しいのか、そのキャラクターを面白がってみたいと思います。才覚も、驚異的な私に関連することの記憶力も、欠点も、姿形も、匂いも、会話というか発言も、全て愛おしいのだぞ!