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勉強は卒業資格を得るためだけのものではない

今回から「『勤労青年』の教養文化史」福間良明著について簡単に触れます。

 戦後、1953年に青年学級振興法が施行され、全国で急速に広がっていった上級学校に進めない青年層を対象した青年学級という社会教育施設があった。

 定時制高校に通えない若者は少なくなかった。能力があっても、親の学問への理解不足や長男・次三男や女子の抱える問題、貧困、定時制高校が居住地から遠いなどの理由があった。

 1950年代前半から半ばにかけて、農村では勤労青年の教養文化が盛り上がりを見せた。人間性の涵養、良い社会を作るためにもっと勉強するという「人格陶冶」・「社会改良」の意思を持っていた当時の青年層には、「教養主義の規範」がうかがえる。新制高校進学率は急速に上昇し1955年には51.5%に達した。一方、地域によって異なるが青年会・青年団の4割台から8割以上が青年学級に入っていた。

 そこでは人文社会科学を学び社会的関心への広がりも生まれた。また自然科学への関心とあいまって、農業改良へ向かったものもあった。一般教養的なものに金を出したくないという首長に対して、青年学級の代表者は、「一般教養学習の中から仲間が生まれ、村を思い、真に農業を考える青年が出てきたのだ」と返し、予算の増額を勝ち取った例もあった。

 この青年学級や青年団の教養文化を支えていたのは、ある意味進学者たちに遅れまいとする勤労青年の焦燥感であった。1950年代半ばまでは、その青年学級について満足感を語るものもいた。しかし「片手間学級」と呼ばれるほどで、設備・校舎・学校環境はからなずしも満足いくものではなかった。

<続>

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