列車に揺られ

2017/9/2

ハワイの1週間の旅、倉敷の1泊の旅、夏の旅はこれで終わりだ。
私は違う土地に訪れるたび、自分に相応しいような、腰を据えられるような、そんな場所はあるのだろうかと問いかけては少し切なくなる。どこに行っても私には合わないのではないかと感じてしまうのだ。旅とは人間の本質であるのに、それがあまり心地よく感じられない自分は、蚊帳の外に放り出されている気持ちだ。
だけど帰省の車中、もう梅雨が明けた日本は19時を過ぎるとようやく日が落ちて暗くなる。静かな夜を迎える準備が始まった群青色の外は、郷愁の想いを掻き立てる。
そしてそんな中、周りの乗客の誰一人としてカーテンを閉めないことも、たとえそれが気にかからないだけだとしても、私と同じ気持ちなのではないかと嬉しくなるのだ。
久しぶりの気持ちの良い景色が見えるのだから。

訛りのひどく強い関西弁での車内案内は、私の読書をその都度遮った。
しかし、声の持ち主である車掌さんが切符に印を押しにきたときのしごく丁寧な仕草は、それが長年はびこっているものだと白くなった髪が表しており、愛おしくなる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?