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日常にも非日常にも必要なもの

暑いですね。全身黒ずくめでいるからよけいに。白い服を、買えばいいのか。

さいきんパスピエをまた聴いています。わたしがめちゃくちゃ好きなギターを弾く大学の先輩が卒業する年のはじめに勇気を出して、「わたしと何かバンドやってください」とお願いして、やらせてもらったバンド。なつかしい。

いまパスピエをやったら、もっと上手に歌えると思う。声の出し方がわかっているから。むかしとは根拠がちがう。

大学4年間のバンドサークル生活の中で、いちばん声が出しやすかったのは3年のときだったが、それは単純に歌う機会が多かったからだ。週に何個も何個もバンドの練習があって声の限り歌っていたから、喉の筋肉が鍛えられて声が出しやすくなった。ただそれだけのことだった。その証拠に、4年生になって歌う機会が減ると、声が出しにくくなった。

いまはそのころと比べると体力はないし、賃貸なので大きな声で歌えないし、条件としては悪いはずなのだが、たとえばカラオケに行って歌いはじめると、思ったように声が出る。特別なにかしたわけではないのだが、体が歌い方をおぼえたのだろう。こうなるまでに10年くらいかかった。長かった。が、変われば変わるものだ。
歌で食っていくことはできないけども、去年は結婚式で歌ってくれと言われて、お礼をもらえたりはした。はじめて自分の歌でもらったお金だったので、大切にとってある。

話は逸れるが、結婚式で歌を歌ってほしいと言われたり、あいさつをしてほしいと言われるのはすごくうれしいことだ。依頼してくれた友達から、信用してもらっているあかしのように感じるから。わたしは友達の結婚式によばれたことがまだ2回しかないが(交友関係のせまさがしのばれる)、その2回とも、人前に立つなにかしらの役割をもらっている。緊張するし、練習も何度もするのだが、そのぶん、やりおえたときの達成感はおおきい。

歌は、わたしの日常にも非日常にも必要なものだ。かけがえのないたいせつなもの。失えないもの。愛するもの。声が出るかぎり、歌い続けていきたい。

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