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夜間保育園は、真夜中の陽だまりだった


●真っ白いバームクーヘン

博多のどろんこ保育園を訪ねたのは2015年のよく晴れた初夏でした。

現代建築で建て替えられたばかりの園舎は、真っ白なバームクーヘンのよう。まるで美術館かギャラリーのような建物です。

設計した建築家は北京を拠点に活躍する旗手、迫慶一郎さんです。私は2009年に東京から家族と一緒に北京に移り住んだのですが、北京で迫さんの人物ルポ(AERA・現代の肖像)を書かせていただいた縁から取材を続けていました。

迫さんにとって、この保育園の園舎は40代半ばにして初めての故郷に錦を飾る仕事でした。

迫さんは、中国で児童書専門店や保育施設など、子どものための建築をたくさん建てています。そうした仕事の積み重ねの上に建ったこの保育園は、伸びやかな空間、芝生の青々とした屋上庭園など、生命力と温もりを感じさせる建物で、迫さんの父親としての奮闘をも思い起こさせるものでした。

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●それは夜間保育園だった

さて、この保育園が「夜間保育園」だと知ったのは、帰りがけの理事長との短い雑談でのことです。

昭和の頃、九州一の歓楽街・中洲で働くホステスの子どもたちを預かる夜間託児所から始まったというのです。保育園は、中洲から歩いて10分、商業施設・キャナルシティ博多にくっつくように建っていました。初老の理事長は、学生時代に夜間託児所を始め、中洲の母たちとのつきあいが続いていました。そして、夜、働く親たちのことを「おかあさんたちは、実に一生懸命でした」と、何度も繰り返したのです。

昼間の親、夜の親。働く親にはそれぞれに働く理由と思いがありますが、いったん親になると、社会は「よい親」「正しい親」であることを要求します。

ふつうならば、夜子どもを預けて歓楽街で働けば厳しい言葉を投げかけられがちなところ。ですが、理事長はこれ以上ない言葉で肯定していました。

その言葉に、子育ての時期に息苦しくつらかった記憶がフラッシュバックしました。

こんなふうに親のことを認め、引き受けてくれる保育園に私も通いたかった。その時にこみ上げた強い感情には、憧れと枯渇感が入り混じっていたように思います。

そうして博多の夜間保育園へ通う生活が始まって4年、1冊の本になったのは、2019年9月のことです。

真夜中の陽だまりカバー帯

●親を支える保育園

ホステスをしながらシングルで子どもを育てる母、新聞記者夫婦など、さまざまな親に話を聞くことができました。どの人にも、親になるまでの物語と親になった時の思い、働きながら子育てをする悩みがあり、それを保育園の先生たちはそっと支えていました。

さらに驚いたことに、理事長先生は、親が子育てに疲れきっている家庭があると、週末、園児を自宅に連れ帰って預かっていました。

なぜそこまでして……。という疑問を投げかけるたびに理事長先生は口ごもり、「ちょっとした関わりが、人の人生を変えることもあるんじゃないかと思います」とだけしか語りません。

卒園保護者もたくさん話を聞かせてくれました。昭和48年の長屋の夜間託児所時代を振り返ってくださった60代(当時)の保護者もいらっしゃいます。

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保護者はどなたも「どろんこのおかげで子育てと仕事が両立できた」と口々に話してくださいました。

どろんこの過去を取材しながら、同時に、現役の保護者にも取材を進めていく過程では、保護者と先生たちの濃密な関わり合いを間近に見ることとなりました。子どもとの人生に立ち止まり、前へ進めなくなっている母がいると、先生たちは交代で自宅に子どもを迎えにいくのです。

手を添えるような支援が続くうちに、母はまた元気を取り戻し、自分で歩き出していました。

●虐待の連鎖は止められる

子育てと親の育った環境の関連性は、よく指摘されてきたことです。虐待を受けて育った親は子どもに虐待をしてしまうなど……。

ですが、虐待を受けて育った経験が、自分の子どもに虐待をしてしまうリスク要因だとすると、リスク要因を上回る保護要因があれば、虐待を踏みとどまることができる。そう教えてくれたのは、児童福祉学者で関西大学教授の山縣文治さんでした。

山縣さんは、2018年3月に東京目黒区で起きた5歳の女の子の虐待死亡事件の検証委員長。全国夜間保育園連盟の顧問として、長く夜間保育にも関わっています。

いろんな事情の親たちを支えている夜間保育園は、親が人生を立て直す(レジリエンス)ための保護要因としても機能すると、山縣さんは話してくれました。

山縣さんの言葉で、どろんこ保育園の取り組みはなんだったのか、視界が開けるような思いがしました。

「親を支える」というどろんこ保育園の型破りな保育方針は、どんな親にとっても必要で確かな「保護要因」だったのです。

小さな娘たちを育てながら慣れないフリーランスの世界で立ち往生していたかつての私も、どろんこ保育園のような「保護要因」を必要とする、虐待のリスクのある親だったのだと、取材の最後に自分自身に対する謎が解けたのでした。

私は自分の子育てのリスクについては軽く自覚していましたが、むしろ、そのことが引き起こす罪悪感で自分を責め、自家中毒のようなことになっていた、そのことが長く自分を苦しめていたのだと思います。初めてどろんこ保育園を訪ねた日に強い憧れと枯渇感を覚えたのは、そういうことだったんだなと、初めて腑に落ちました。

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●「陽だまり」の続く物語

『真夜中の陽だまり』では、社会で子育てを支えること、なかでも親を支える視点について、考えるヒントを差し出すことになりました。

出版して半年が過ぎ、どろんこの先生方をはじめ取材で知り合った方たちとの関わりは終わりません。『陽だまり』のあと、2019年暮れに、中洲の親たちを対象に小さな保育園「どろんこの星」が開所したのですが、「星」の開所以後も、先生たちや親たちの人生にはさまざまな新しい出来事が起こっています。「星」ができたことで初めてわかった、夜の親子をめぐる状況があります。読んでくれた見知らぬ人たちとの出会いもありました。
子育ての社会化や、見えにくいところに隠れている親子の問題について、先生や親との関わりを通して、私も考え続けています。

noteでは、そんな『陽だまり』の続きを記していきたいと思っています。

『陽だまり』のその後の物語に並走いただけたら心強く思います。
どうぞよろしくお願いします。

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