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アスリートと自然淘汰(前編)

お久しぶりです。
以前の投稿から少々時間が経ちましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。人間というものは、つくづく面白いものです。
こんな危機的状況と言われながらも、この状況を当たり前として処理しつつある今日この頃です。

やはり、順応していく生き物なのでしょうか。。。

以前より、自分を主とした文章を書いてきました。
アスリートの現状や問題点、企業との関わりなど、ありのままの今を伝えることでたくさんのリアクションをしていただきました。
現在は、練習も段階的に復旧し全日本選手権に向けて目的を持った練習ができることに感謝感謝の日々を過ごしています。

ですが、我々を取り巻く環境は今まで通りに戻ったわけではありません。
いまだ警戒すべき点、解決しなければならない点、避けなければならない点、耐え忍ばなければならない点と様々な課題を抱えながら新しい生活をみんなで模索している最中であると言えるでしょう。

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その中で、多くの人が今までとは勝手が違うことに不安を覚えていることは確かです。我々も試合が中止や延期になり、自分という存在を示す方法が最小限になってしまったことで競技を続けていくことに対しの意味を見出すことが難しくなっている現状です。

そんな日々を過ごす中で、僕が以前に読んだYahoo!知恵袋のある質問への回答がふと頭をよぎったのです。

(以下、本文より一部引用)
「不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思います。
自然界では弱肉強食という単語通り、弱い者が強い者に捕食される。でも人間の社会では何故それが行われないのでしょうか?」

この問題に対する回答が秀逸なのです。
そしてこれが、これからのスポーツ業界に必要な要素なのではないかと思い今回筆をとった次第です。
ということで、この質問に対する回答を紹介しつつ、スポーツ業界と照らし合わせてみましょう。

先生

(以下引用)
自然界は「弱肉強食」ではありません

弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません

虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています

***

自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です

個体レベルでは、最終的に全ての個体が「喰われ」ます
全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます
個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありません
ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです

種レベルでは「適者生存」です
この言葉は誤解されて広まってますが、決して「弱肉強食」の意味ではありません
「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです
(「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味であることに注意)


そして自然というものの特徴は、「無限と言っていいほどの環境適応のやり方がある」ということです

必ずしも活発なものが残るとは限らず、ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります
多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、大きいもの小さいもの、、、、
あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り

「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんです

そして「適者生存」の意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味である以上、ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが関係ないんです

10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、1年しか生きられなかったが子を10匹生んだ個体とでは、後者の方がより「適者」として「生存」したことになります


「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります

人間の生存戦略は、、、、「社会性」
(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463546664より引用)

スポーツってどちらかと言えば弱肉強食のイメージがありますけど、それはあくまで個体の話であって、種としてはもしかすると弱いのかも知れません。今回はそれが顕著に現れました。

国家の安全が保証され、人々の生活が安定した状態にこそ成り立つのが、スポーツという種なのです。
非常事態宣言が出された時、私たちの活動は著しく制限されました。練習場は閉鎖され、試合は全て延期もしくは中止となりました。(これは、仕方ないことです。)つまり、これらの条件が揃わないと私たちは容易に絶滅してしまえるのです。

絶滅

ではアスリートにおける適者生存を考えてみましょう。
この点ではプロのスポーツは柔軟に対応していると言えます。

僕はそこまで野球に興味があるわけでもないのですが、先日行われた野球中継はしばらく観てしまいました。従来の野球中継は観客と共に盛り上げているスポーツも、無観客や少観客で行うことによりエンターテイメント度はどうしても下がってしまいます。そこでテレビ局はその野球中継に解説者やタレントを起用することで「予想しながら楽しめるバラエティ番組」として野球を中継していたことでしばらく観てしまいました。

これもひとつの適者生存の考え方なのだなと。
さすがプロ。切り替えがとても早い。
野球が好きな人は、そんなことをしなくても十分楽しめるのにとお思いの方はたくさんいらっしゃることでしょうが、今回の危機に対して素早く順応することで今まで野球を見てこなかった層にアプローチをすると共に野球自体を深く解説することで次も見てみようかなと思わせるのは圧巻です。

さて、我々にどう落とし込むべきなのか。
それは次回に書きたいと思います。

それではまた次回。


皆さんに支えていただくと共に競技に対して僕が抱いているドキドキやワクワクを共有したいと考えています。一緒に戦いましょう!三宅 諒