ウズベキスタン滞在記 その6 サマルカンド 12月17日

画像1 次の日、朝起きるとRakhimovさんとRavshanさん親子が美味しい朝ごはんを用意してくれる。ラブシャンさんの奥様が作ったという。自家製ヨーグルト、サムサ、ツナサラダ揚げパン?などがめちゃくちゃ美味い。少し脱線するが、ウズベキスタンの食卓に並ぶ定番?のもの、つまりアザムの自宅とアザムのご実家で並んだものを思い出したので書いておきたい。小さなグラスに入って沢山テーブルに並ぶ。塩味乾燥ヨーグルトや、殻をとった胡桃、アーモンド、干し葡萄、乾燥アプリコット、プルーンなど。朝ごはんはお粥が定番のようだ。
画像2 さらには、マシュホルダと呼ばれる、米、豆、肉、野菜を煮込んだお粥タイプのもの、ショールヴァと呼ばれるスープもこの旅で体験できた。ウズベキスタン料理は本当に美味しい。さて、朝食後、アザムと二人で、昨日行ったレギスタン広場の近くにある、アザムの友人のアーティストのギャラリーを訪ねた。ちなみに、アザムの将来の夢の一つは、詩人やアーティストが集うことができるコミュニティ施設を作ることらしい。美しい中庭があって、皆で喋ったり、朗読したり。皆の著作を納めた図書館もあって。この写真のような施設が理想だという。
画像3 AHMAD UMAROVさんのギャラリーの話。この方はサマルカンドで有名な画家で詩人でもあるらしい。アザムとは友人で、アザムと共通の友人がモデルになった絵もあった。ご本人はあいにくギャラリーにいなかったのだが、その個性的な絵や写実の素晴らしい絵を堪能させていただいた。またちょうど詩集を出したということで、その詩集も購入した。ウズベク語で書かれているので読めなくて残念なのだが。でも詩集の一篇をアザムが英語に訳して聞かせてくれたのだが、素晴らしい詩であった。さて、この画家には、さまざま絵のスタイルがある。
画像4 その写実的な絵のうち、イマーム・アリ・ブハリの絵がある。彼は有名な9世紀のイスラム神学者で、聖典コーランに次ぐ典拠である、ハディースの編集に大きな役割をはたしたらしい。アザムによると、コーランは神の言葉と言ってよいものだが、ハディースは、ムハンマドの言葉を集めたものだという。イマームはサマルカンドにゆかりが深く、その廟もサマルカンドから車で30分くらいの郊外にある。いまやイスラム教信者の新しい聖地となっているのだそうだ。この絵のモチーフは、イマームがこの近くの村を訪れた時、民衆に歓迎されている様子である。
画像5 という訳で、サマルカンドの聖地、イマーム・アリ・ブハリ廟にアザムと二人でタクシーで向かう。ところが着いてみると、なんと長期間の再建工事のため、入れないという。(遠くから、工事中の廟を撮影。これはこれでなんとかく現代的な感じが出ていて良い、と言ったら怒られるだろうか。)しかし残念!しょうがないので、また街の中心に戻り、ビビハニム・モスク北側にあるショブ(SIYOB)バザール(市場)を覗くことにする。野菜、フルーツ、日用品、ナッツ、ハチミツ、ドライフルーツ、土産物、肉類、なんでも揃って賑わっている。
画像6 やや季節外れだと言うが、西瓜やメロンも売っている。アザムが頼むと、メロンを小さく切って、店番の女性が売ってくれる。二人で早速、ガブリとかぶりつく。甘い!そして、とてもジューシー!めちゃくちゃ美味い。そういえば、アザムに、「ウズベキスタンのメインのインダストリーはなんだ?」と聞いたとき、即座に「アグリカルチャー」と答えが帰ってきたことを思いだした。ウズベキスタンの農業技術はとても高いらしい。メロンを堪能したあともザクロ?ジュースやリンゴをアザムが買って手渡ししてくれる。ありがとう、アザム!めちゃ美味かった。
画像7 ナンも、サマルカンドのナンは有名で美味しい。形も、タシュケントやナマンガンで見かけるナンとは違って、丸くて個性的だ。お土産屋の近くを通った時に、おもわず、衝動買いで、ロシアの人が冬によく被る、ビーバーの毛皮で出来ている大きな長い帽子を買ってしまった。アザムが、なんでそんなもの買うんだ?みたいな怪訝な表情で見ている。「日本に帰ったら、犬の散歩の時に被って、近所の人を驚かすんだ!」と言ったら、笑っていた。さて、歩きながらの話題は、international poetry festivalについて。
画像8 私は長らく、短歌や俳句をメインに作ってきたので、(現代詩も少々)、international poetry festivalに参加したことがあるのは、ルーマニアだけである。アザムはその点、長年に渡って、世界中のあちこちの詩祭に参加してきた。(世界中のwriter-in -residece programにも参加してきたという。)なので、彼の話を聞いていると、とても参考になるし、なにより面白い。コロンビアの詩祭で小型飛行機に乗った話とか、インドの詩祭で最高のマッサージに出会った話とか、話は尽きない。
画像9 アザムの将来の夢の一つは、ウズベキスタンで国際詩祭を行うことだ。「世界中のどこだって、アフリカや、南米だって、国際詩祭を行っている。ウズベキスタンでだけ出来ないのがとても悔しい!」行政的な壁が立ち塞がるという。アザムはこれまでなんどもその壁をぶちこわそうとして努力してきた。一度は、開催直前までいったのに、最後の最後に、行政にちゃぶ台をひっくり返されたという。詩祭参加の海外の詩人の航空券を払い戻したり、大変だったそうだ。しかし、アザムは将来には絶対開催して見せるという。そう、アザムは何より不屈の闘士なのだ。
画像10 ところで、アザムとアザムの詩集の出版社経由で、私がサマルカンドに居ると聞いて、ナヴォイの街から3時間かけて、ウズベキスタンで俳句を作っているという大学教授の方がわざわざ会いに来てくれたので、お会いした。お孫さんも連れていらっしゃった。お孫さんは、日本人に会えると聞いて楽しみにしていたらしいが、私が市場で買ったロシア風帽子をかぶっていたため、「この人、日本人じゃないじゃん!ナボォイでよく見かけるよ」とブーブー呟いていたらしい。笑 彼女は発句と俳句の違いや、松尾芭蕉の墓の場所などを私に質問した。
画像11 彼女の俳句も拝見したが、面白かった。日本の俳句とも、ルーマニアの俳句ともまた違ったテイストと言うべきか。文化というものは、伝わる途中で変化するもので、それはその土地において真実なのである。だから、私はその土地ごとの俳句があっても良いと思う。日本ではこうなっているよ、と言うのは良いと思うが、「これは日本の俳句と違う!」などとめくじらをたてる必要はないと思う。ルーマニアでも、芭蕉の影響であろう、真面目過ぎる俳句が多かったので、思わず、「もう少し面白みがあっても良いのでは?」と言ってしまって後悔したことがある。
画像12 ルーマニアとウズベキスタンでは松尾芭蕉はとても尊敬されている。おそらく、他の海外の俳人にとってもそうだろう。日本で一番有名な文学者のうちの一人と言ってよい。さて、二人と分かれると、再びRakhimovさんの家に戻る。なんと、名物、サマルカンド・プロフをご馳走してくれるという!感謝!サマルカンド・プロフはタシュケントのプロフと違って、牛肉やニンジンが載っているのが特徴だ。ラブシャンさんの奥様が作ってくれたという。本当にありがとうございます!そして、噂どうり、このプロフ、本当においしい。
画像13 ラブシャンさんのご子息も合流してくださった。彼は、地方のテコンドーのチャンピョンだと言う。テコンドーの型やウズベキスタンの舞踏を披露してくれた。実にカッコよい。私も自作の短歌を朗読してご家族に喜んで貰う。また、Rakhimovさんが70歳になった時の記念パーティーのアルバムなどを見ているうちに、あっと言う前にタシュケントに帰る列車の時間になってしまった。Rakhimovさんのサマルカンドの古美術に関する著作本などをいただいて名残り惜しい別れを告げる。一宿一飯(いや四飯?)の恩を忘れません!
画像14 タシュケントに戻ると、(写真右から)アザムの奥様Nodira Abdullayevaさん、三男坊のAbduraufさん、その友人のMilanさん、アザムの甥っ子のJavohirさんが歓待してくれる。めちゃ嬉しい。自宅に帰ったようにリラックスできる。アザムの奥様はジャーナリストでもある。この記事によく登場するAbdurafさんは、スポーツマンタイプのハキハキした好漢である。今回、いろいろウズベキスタンに関するアドバイスや示唆いただいた。ありがとう!アザムの甥っ子、Javohirさんも人懐っこく優しい方だ。
画像15 法学を学んでいると聞いた。きっと立派な法曹人になると思う。友人のMilanさんも、日本について色々語って、面白かったです!ありがとう!Abduraufさんに、ウズベキスタン・プロフとタシュケント・プロフの違いや、タシュケントで訪れるべきモスク、日本の寿司や刺身についての正直な感想などを聞いているうちに、その夜も幸福に更けていったのである。
画像16 一首 コサック帽被りて犬の散歩ゆく隣人我と目を合はせぬなり

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