ウズベキスタン滞在記 最終回 タシュケント 12月18日

画像1 さて、いよいよウズベキスタンの滞在も最終日である。なんとあっという間だったことか!この日の午前中はアザムが用事があるということで、アザムの友人で大学教授の方が彼の勤めている、タシュケント市内のOXUS大学を案内してくれるという。早速彼の車で午前11時ごろ向かう。彼は法律関係の大学の書類をすべて管理している要職にあるという。大学に着くと彼のオフィスで、彼の秘書?の方を交えて、しばし歓談。すると、彼がどこからか、日本語を勉強しているという学生の方を連れてきた。にこやかで優しい学生さんである。
画像2 彼としばらく日本語で情報交換する。彼は将来、日本に行って勉強したい、と言う。また、タシュケント市内にも鮨チェーン店があるから、今度ぜひ行こう、とも誘ってくれる。そして大学校内を案内してくれる、というので、彼のあとについていく。すると一階施設と図書室などを見て回ったあと、(この大学は、私立大学で、まだ半年前にオープンしたばかりだという!)、大学教授の方々のいる部屋に案内される。彼らは皆フレンドリーだ。突如現れた、訳のわからない日本人をも客として迎えてくれた。恐縮していると、大学の副学長の部屋にも案内される。
画像3 副学長は部屋で仕事をされていたが、これまたにこやかに、私のような者を歓迎してくれる。副学長はなんとかつて、と東京大学にかつて留学していたという。しばらく東京での話を伺ったり、私の自己紹介などをして歓談。ひと段落したところで、彼が「ところで、わが大学として何かあなたに出来ますか?」と聞いてくれる。そうなのだ、彼も私がなぜこの場に居るか、イマイチわからないし、私もなぜこの部屋に案内されたのか、分かっていなかったのだ。笑私も困ってしまって、「いやあ、ここに勤めている友人の大学教授の方が、、」とかしどろもどろに。
画像4 すると、なんとなく事情を察した副学長が、先ほどの日本語がしゃべれる学生の方に、その友人を探して来なさい、と言う。学生さん、なんかすみません!しばらくすると、私を連れてきた方が副学長の部屋にやってきた。丁度、お昼時なので、もう一人の副学長さんと合わせて四人でランチを食べようということになった。で、大学の近くで、カフェ(といいつつ、立派なレストランに見えた)に行った。ウズベキスタン料理のプロフはもちろん、トルコ料理や西洋料理、などなんでもある。私はカザフスタン料理だという、皿うどん風の一品を頼む。
画像5 これが実に美味かった!馬肉や羊の肉も載っている上にスープが実に美味い!副学長たちや法学教授は、プロフなどを食べていた。食事中、さまざまな話をしたのであるが、印象的だった質問が、「日本人はどのような宗教を信じているのか?」「もし無宗教ならば、人々の倫理観はどこから生まれるのか?」という質問だった。なかなか難しい質問である。なんとか答えたものの、あとから、あれで良かったのかと考えたものである。宗教心と倫理観、たしかに似て非なるものであるが、ウズベクの人びとにとって宗教と倫理観は密接に結びついている、と思った。
画像6 前にも書いたが、日本の都市に住む、私のような無宗教の人間の存在は、日本に居ると当たり前のように思えるが、世界的に見るとかえってレアだったりする。では、彼らの言うように、我々の倫理観がどこから来るのか、(あまり考えたこともなかったが)、よくよく考えてみると、「ここから来るんだ!」とはっきりと答えるのは難しい。というか、はなはだ歯切れの悪い回答になる。それも含めて、私にとって実に示唆に富んだ会話となった。そこへ、用事を済ませたアザムもカフェにやってきて合流。なぜかアザムの顔を見るとほっとする。
画像7 食事代は払うと言ったが、なんと副学長が払ってくれた。なんだか勝手に押しかけた上に食事までご馳走になり申し訳ない気分に。いつかOXUS大学に日本の詩歌などについて講義でもして恩返しいたします。日本語の喋れる学生の彼ともいつか再会したいな。食後はOXUS大学の方たちと別れ、ふたたびアザムがタシュケント市内を案内してくれる事に。まずは、昨日、アザムの三男坊のAbdraufさんお勧めのモスクを訪れた。イスラム教信者は毎週金曜日にモスクを訪れてお祈りするという。敷地に入りきれないほどの人々が集まるという。
画像8 そのため、モスク内に入りきれなかった人々のためにお祈りのための沢山の絨毯が丸められて、金曜日のために準備されている。この日は金曜日でなかったため、モスク内にも入ることが出来た。なるほど、Abduraufさんがお勧めするだけあって、なんとも荘厳な雰囲気である。モスクの天井を眺めているだけで心が落ち着く。人々にはお祈りをする、それぞれの決まったモスクがあるのか?とアザムに聞いてみるとそういう訳でもなく、どこのモスクでも良いらしい。アザムはかつては職場の近くのモスクに通っていたらしい。
画像9 (ちなみに豆知識であるが、ハディースによればムハンマドの人生は月曜日と非常に関係があるらしい。)さて、モスクを出ると、今度はアザムが最初の詩集を出した出版社と市内有数の大きな本屋がはいっているというビルに連れて行ってくれた。なるほど、大きな本屋である。詩や文学を朗読するスペースや古本屋も隣接している、文化の香りがする場所だ。ベストセラーとなっている本のランキングも、硬派な小説が多い。日本の出版事情の現在とは大きく異なるだろう。日本文学の本としては、芥川龍之介や、安部公房の『砂の女』なども置いてある。
画像10 主にウズベク語とロシア語の本が多いみたいだ。偶然、本屋の中で、アザムの友人で詩人のMurod Chovushさんに出会い、アザムが紹介してくれる。あとから聞いたところによると、彼はとても謙虚な詩人で立派な方らしい。この近くのアパートに住み、やはり海外の詩人などが来た折には泊めたりしているという。ウズベキスタンに来る海外の詩人は、アザムやMurodさんみたいな方々にはいくら感謝しても仕切れないくらいである。書店を出ると、今度は、Adiblar Xiyoboniという、文学のメモリあるパークに。
画像11 この公園内には、さまざまなウズベキスタンの歴代作家たちの銅像が立っていて、アザムが解説してくれる。そしてアザムのその作家に対する評価も。その評価は、独裁者政権に寄り添った作家に対しては厳しいものとなる。ちなみに、Oybek(13日の記事を参照。上の写真は、孫娘のOynurさんと)はどうであったのか。アザムによると割とその店はニュートラルだったらしい。なので、Oybekの事は尊敬している、と。最後に小高い丘の上にあり、ウズベキスタンの文学史上の最大のヒーロー、ナヴァーイーのひときわ大きな銅像の前に。
画像12 例によって、その銅像前で自作の短歌を朗読する。アザムがそのライフワークとする、ナヴァーイーの作品の英語翻訳による海外への紹介、というものも前述したが、その一部がイギリスの国会議員の目にとまり、BBCで放映されたりだとか、シンガポールの首相の旦那さんがこの公園に案内された時に、このウズベクの国民的ヒーローの著作を英語で読んでみたい、と言い、政府関係者が困って、さまざまな文学関係の提言を無視するくせに、アザムさんに頼ってきた(アザムさんは、きっばり断ったという。)というエピソードなど、実に興味深くて面白い。
画像13 こうしたエピソードを聞くにつれ、アザムが何と戦っているのか、というのが明確になる。彼に迷惑がかかると悪いので少し曖昧に書くが、彼は巨大な理不尽なシステムと戦っているのだ。ウズベクの政治や選挙事情、文壇ともいうべき、文学者の組合?の真実、などなど。さて、私や日本の詩歌人は何と戦っているのであろうか?そのテーマは人それぞれであろうが、改めて立ち止まって考える良い機会となった。公園を出て、隣接する墓地に向かう。俳句をはじめてウズベクに紹介した文学者のお墓に連れて行ってくれた。彼もまた、反骨の士だったという。
画像14 さて、再びアザムの自宅に戻り、最後のお別れ会を兼ねた夕食をご馳走になる。三男坊のAbduraufさんや、甥っ子のJavohirさんも一緒だ。今回、音楽関係のお仕事をされているという、次男のAbdurasidさんは、ご多忙のゆえ、あまりゆっくり喋れなかったのが残念である。また、ご長男のAbdulazizさんとは、ナマンガンでお目にかかったが、(この記事の写真を参考)またゆっくり喋ってみたい。アザムが気を使って、鮨もとってくれた。甥っ子のJavohirさんは鮨が好物らしい。今日訪れたモスクの話や鮨の話をする。
画像15 飛行機の時間が近づいてきた。最後にアザムが自ら作曲したという曲をピアノで弾いてくれる。なんとも多彩な人である。少年時代は美声でも鳴らし、合唱団にも所属していたという。こういう時、私もいつもお返しをしなければ、と思うものの、特技がないため困ってしまう。しょうがないので、母校の校歌を歌った。いよいよお別れの時間である。奥様、Nodira Abdullayevaさんに、「今度は奥様も連れてきてね」と暖かい言葉をいただく。私の体調を気遣ってくださり、誠にありがとうございました。そして、とても美味しい食事の数々!
画像16 アザムが空港まで送ってくれる。なんという濃密な一週間だったろう。こうしてアザムとの繋がりが出来た不思議さを思う。私たちは国は違えど、詩歌というものを通してこのように親密になれたのだ。改めて詩歌をやってきて良かったと思う。そして詩歌そのものもさることながら、このように異文化に人々と触れ合うことの楽しさに私は目覚めてしまったのである。私は今回、この旅と、一人のウズベク詩人であるアザムを通して、ウズベキスタンについて、そして日本について考える機会を持った。折りに触れて、私はこの旅を振り返るだろう。
画像17 アザムは言った、「現代の日本とウズベキスタンの関係にどんなものがあるだろう?」経済的に少し、あとは?最近、日本政府や経済界が今後中央アジアと連携を深めていく、というニュースがあったが、両国の関係はまだまだ深いとは言えないだろう。アザムが戦っているシステムの話になった時、アザムは自らに言い聞かせるように、「結局、ウズベキスタンの将来はウズベキスタンの人々でしか変えられない」と言った言葉が忘れられない。私に出来るのは共感だけなのか?ウズベキスタンの人々と中央アジアの大地に思いを残しながら帰路についたのだ。
画像18 一首 ムハンマドは猫愛しけりウズベクの詩人の家に猫三匹棲む

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