梯子を外す
「梯子が外された」ら、もう後は「必死にあがく」しかないでしょう。
その姿勢が、自己成長に繋がる、と考えれば、孤立ではありません。新しい仲間を創る、更に高みを目指す自分を創る、絶好のチャンスです。
社内ツイートは楽観論で、がモットーです。
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おはようございます☀️
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梯子が外される
「はしごをはずされて高い所に置きざりにされる。転じて、先に立って事に当たっていたのに、仲間が手を引いたために孤立した状態」
私(たち?)はよく「梯子を外される」と言うのですが、正しくは?「梯子が外される」のようです。
「を」と「が」の違いはさておき、
事実がどうであれ、仲間や後ろ盾を失ったように感じたときに使っています。
私の過去を振り返れば、何度となく「梯子が外された」状況を経験しました。
「君ならできるやろ」と温かい言葉をかけられて赤字拠点の立て直しに赴いたら、送出した時の言葉とは裏腹に日本からの支援は希薄。孤軍奮闘せざるを得ない。後ろから撃たれたような事もありました。私の性格が曲がっていたために上司に疎まれていたのかもしれません(笑)。
確かに「梯子が外された」その時は、退路は断たれるわ、今までの仲間が減ったように感じるわ、孤立感で路頭に迷った感じです。
では
「梯子が外される」ことは悪いことなのか?
と聞かれると、そうでもない、と断言します。
退路を断たれたならとにかく「あがく」。真剣にあがいていると、別の仲間、チームができます。退路がないのだから前に進むしかない。それが、自分の成長に繋がる、と確信します。
不退転の決意、な~んて格好いいことを言えればよいのですが、私自身を含めて、自らの意思で自分を追い詰める厳しさを持つ人なんて多くはいません。
ならば、外圧でその状況に追い込まれてみるのも一興。「梯子が外された状況は自己成長の機会」と受け止めて、あがいてみましょう。
必死にあがけば、梯子がなくても、世の中、何とかなるもの。
新しい仲間を創る
更に高みを目指す自分を創る
絶好のチャンス到来
楽観的に行きましょう。
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胸をひらいて、笑顔でいい1日を😄
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