受験生

大学受験の失敗と浪人生活の話〜浪人生①〜

大学受験は失敗しましたー(笑)

まぁ、ここまで堂々と書けば逆に潔いでしょう。勉強が足りなかった自分の責任ですが、そもそも本気で志望校を考えていなかったことが良くなかったのだと思います。

教員になりたいという夢があったので、選ぶのは地元の国立大学。うちの高校だと可もなく不可もないみたいな選択になるのですが、ここでいいだろうくらいに思って受験しました。

動機が弱かったですね。。そもそもセンター試験でうまく点数が取れなかったので落ちて当然です。まさか自分が浪人を経験するなんて、、、と思ってましたが、振り返ると僕の人生においてはかなり大きなターニングポイントでした。

■浪人生活

塾に通ったことがない&走ってばかりいた人間にとっては受験のための予備校はとても新鮮でした。そして、高校の授業内容を改めて学ぶと、いかに自分の知識が繋がっていなかったかがよく分かりました。

ダンゴくんという同じ高校から同じ予備校に進んだ子がいたのですが、高校時代の僕は話しかけづらかったみたいです。高校時代のほとんどを走ることに費やしたツケですね。不機嫌なつもりはなかったけれど、どこか悪いオーラを出してた心当たりはあります。ごめんねぇ。

ダンゴくんはいいヤツでした。頭も良くて電車の中で問題を出し合うことが好き。休み時間も一緒に過ごすことが多かったです。

競技から離れてしまうこの時間はとてももったいなかったと思うのですが、この一年は僕にたくさんのことを教えてくれました。

■筑波大学の挑戦

浪人生活を始めて数ヶ月経った頃でした。一枚の新聞記事のコピーをもらいました。送り主はヤマシタ先生。

「筑波大学新聞」

ヤマシタ先生がしきりに進学先として勧めてくれていた大学です。(ちなみにヤマシタ先生の母校でした)

その記事によると第80回箱根駅伝記念大会では出場校が5校増加するとのこと。そのタイミングに合わせて数名の大学四年生が大学院に進学。記念大会で出場校が増えるタイミングに合わせて大学院生と大学生の合同チームを作り本戦出場を目指すというものでした。

国立大学の進学を目指して勉強していた自分にとっては驚き以外のなにものでもありませんでした。今ほどではないにせよ、当時であっても私立大学が選手をかき集めてチームを作るのが当たり前の時代。それでも、国立大学にもチャンスがある!ということは夢のような話でした。

浪人中に潜めていた陸上熱がムクムクと湧き上がりました。そうだ、筑波大学を目指そう!!

それが、今につながる大きな岐路でした。

最後までお読みいただきありがとうございます。現在様々なメディアで情報発信しています。サポートいただいた分はメディアの運営に使わせてもらおうと思います。