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1995.1.17早朝 

 寒い朝だった。


3DKの団地にダンナと子供2人とで住んでいて、この日は私と息子、ダンナと娘とが一緒に寝ていた。 それぞれの部屋が6畳とはいえ団地サイズで狭かったので、家族4人が布団を並べて寝るのには窮屈だった。それで2部屋に分かれて寝ていた。 


夜中に(実際は夜明け前だったんだけど、体感的には夜中)布団の中で突然真下からガツンと突き上げられるような衝撃を感じて飛び起きた。 


いや、正確に言うとバッチリ目が覚めたんだけど、ガツンと来た縦揺れの後、まるで大きなブランコに乗っているような横揺れが長く続いたので怖くて動けなかったのだ。


何分揺れていたのかはわからないけど、気味が悪いくらいに長く感じた。一体いつまで続くんだろうって思ってた。


夜明け前であたりはまだ暗い。いつもなら迷惑に感じるくらいに明るい、団地の常夜灯が消えているから停電なんだろう。 そりゃこんなに揺れたら停電にもなるよなあ。


あまりにも激しい地震のショックなのか、どこか妙に のんびりとそんな事を考えながら揺れが収まるのを 待っていた。



狭い部屋なのでタンスの上にダンボール袋の衣装ケースを数個のせていた。横揺れの向きが違っていたら タンスもろとも私と息子の上に倒れて来ていたかもしれない。 あんなに揺れたにも関らず、タンスも倒れず、衣装ケースも落ちて来なかった。今考えるとラッキーとしか言いようがない。



長い長い揺れがおさまった。息子はあんなに揺れたのにぐっすり寝ている。いい気なもんだと思う反面怖い思いをしなくてすんでよかったとも思った。


布団に寝転んだまま、丸い蛍光灯が2本ついている部屋の明かりの、真ん中に垂らしてある長いヒモを引っ張ってみたが、やっぱり電気は付かない。


となりの部屋からダンナが「停電やでー」と言っている。 わかってるわ。 


まっ暗で何も見えない中、手さぐりで懐中電灯を見つけてキッチンへ行く。1995年にはまだスマホはないから懐中電灯がなければホントになんにも見えないのだ。


調べてみたら、日本でスマホが最初に発売されたのは2008年だった。「NTTドコモ」の誕生が1992年だというから、この時私が持っていたのは ポケベルか PHSだったんじゃないかと思う。1995年というのはそんな時代だった。


「そうやね、確かキッチンにろうそくがあったと思う」と言いながら恐る恐るキッチンに行き、ろうそくとマッチを見つけて、 しょうゆを入れる小皿に立てた。


数日前に、ろうそくなんて使うこと無いから捨ててしまおうかと思っていたところだった。マッチも一緒に。捨てなくて良かったと心の底から思った。


ろうそくの明かりでぼんやり照らされたキッチンを見ると、 思ったよりも物が落ちていない。食器棚も倒れていないし 扉も開いていない。食器が散乱することもなかったようだ。これも揺れの向きが違っていたら、もっとすさまじい光景に なっていたんだと思う。


同じ団地でも、食器棚から食器が飛び出して床に落ち、割れてその踏み場もないと言っていた人もいたからちょっとした違いで被害に差があったらしい。


6時ごろに日が昇り、その頃に電気が復旧した。ニュースでも見てみようと軽い気持ちでTVを付けた。


朝はいつも「おはよう朝日です。」を見ていた。この番組は1979年から続く朝日放送の朝番組。 調べてみたら何と今も続いている。関西ローカルで40年以上続く長寿番組なのだとか。


震災当日停電から復旧して最初に写し出されたのは、ガラスが粉々に砕け散って足元に青い雪のように積もって いた車のショールームの映像。


それにかぶさるように、当時は局アナだった宮根試司さんが「非常に大きな地震が起こったもようです!詳しい情報は入り次第お伝えします!」と何度も叫んでいた。 


普段は明るい軽妙な喋りをしていた人がこんなに必死に叫ぶなんて、これはだだごとではないと感じ始めていた。 子供は2人ともまだ寝ていて、私はボーッとTVを見ていた。


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