偽善者になりきれない本当の善者
造血幹細胞の移植をしてから昨日で1週間が経った。
体の免疫である白血球の数は2月23日時点では200しかない。
(一般数値は3000〜8000と言われてる)
でも昨日の白血球数が60だったため、上がり傾向。
早ければ週明けには生着(もらった骨髄が体に順応すること)するかもとのこと。
とは言っても、
すぐにでも感染症が起こりうる、免疫ゼロの今の体でありながら、幸いにもだるさや熱は抗生剤を使ってなんとか予防できている段階だ。
免疫がゼロであれば、ドナーの骨髄が自分の体に順応しやすくなるので、ここをなんとか乗り越えたい。
免疫ゼロでありながらもnoteは何とか更新できそうなので、今回も書いていく。
テーマは「善人とは何か」ということ。
いかにも哲学的で、高校の倫理の授業を思い出す。
これといった正解をこれから書くわけでもないので、
かたくならず、普通に読み進めてくれると嬉しい。
「あなたは利用されているだけだ」
僕は退院して元気になったらとある有名人と焼肉を行く約束をしている。
自慢っぽく聞こえるかもしれないが、少しだけでも自慢させてくれ。
以下のnoteに書いてはいるが、
その有名人が焼肉行きたい人を募集していて、応募したら当選したって話。
多くの人から
「みやっちの魂が響いた!」
「絶対に治して約束を果たしてほしい」
なんて応援のメッセージが届く一方で、
こんなメッセージをいただいた。
人それぞれ解釈は違うと思うが、このツイートを見た僕は、
「その芸能人は偽善者であなたは利用されているだけだ」
というメッセージが込められているのだと思った。
それが良いか悪いかはここでは議論するつもりはないが、芸能人に限らず
良い行いをしたところで「あなたは偽善者だ」って思う人は一定数いるんじゃないかなと思い始めたのだ。
偽善者ってなんだろうか
偽善者について調べてみた。
この説明が本当に正しいかどうかは僕にはわからないが、
大まかな意味としては”いかにも善人らしく見せようとする人”なのかもしれない。
でも正直に言う。
僕自身周りから「あいつはいいやつだ」
って思われたいし、そう思われるための言動をすることだってある。
その言動に「偽善者」って思われたり、そう言われたりするのはむしろ違和感でしかない。
となれば、みんないっそのこと「偽善者」になった方がこの世もうまく行ったりするのではないかと思う。
僕は「偽善者」という善者に救われている
このnoteを書いている僕は今まさに血小板の輸血を行っている最中だ。
つまりは、献血してくれた方から方から命をつないでもらっている。
そんな献血してくれた方を「偽善者」と僕の口からは絶対に言えないし、そもそも「偽善者」だなんて思ってもいない。
「偽善者と思われるから献血なんてしねーよ」
って思っている人も根っからは善者だと僕は思っている。
もしかしたらこの世の中、偽善者という言葉があることによって、
「偽善者」にすらなりきれていない多くの善者が隠れていないだろうか?
だとすると、この世は本当に窮屈になってしまったと思う。
僕は偽善者と思われようと、周りを気にしないし、気にする必要もない。
だって自分の人生の主人公って自分だし、
何かを始めたり、継続したり、苦労し続けたりできるのも
”全ては自分のためだからできること”ってわかっているから。
僕がこうやってnoteを書き続ける理由って前にも書いたと思うが、
誰かの心を動かそうって気持ちは全くなく、
数年後も自分が今書いている文章を見たときにその時の気持ちを思い出してほしいという備忘録に過ぎない。
そう、つまり自分のため。
さっきの引用文にもあったけど、
自分を中心に考えて、自分が良い人に見られる行動、どんどんやっていこうよ。
「偽善者と思われたくない」って言う理由で、自分がやりたいことも我慢して何もしない方がよっぽど悪だと僕は思うよ。
あとがき
このnoteの下書きは実は火曜日に着手していたが、その火曜日・水曜日と熱が38度台まで上がってしまった。
毎週火曜日・金曜日の更新を初めて崩してしまった。。
今日は木曜日で令和の天皇誕生日。
頭がぼーっとした午前中はしっかり休んで、午後から下書きの続きを書いてみた。
移植してから、そこまで大きな副作用もなくそのままいけるかと思った矢先の発熱だったもんで、改めて健康であることが本当に大事だと気付かされた火曜日・水曜日だった。
まだ僕は健康とは言えないが、こうやってnoteを更新できているだけでも健康が基盤となっているのだなぁとつくづく思う。
また次回も更新できたらいいな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?