漫画「ブラックジャック創作㊙️話」

原作:宮崎克 漫画:吉本浩二 刊:秋田書店

ふと、本棚から、漫画「ブラックジャック創作㊙️話」の1巻を取り出し、読んでみる。
この作品、文字通り手塚治虫先生の代表作の1つの「ブラックジャック」の制作秘話と手塚先生のエピソードを書いた作品ですが、この作品は読んでいると、「ブラックジャック」を中心とした漫画の制作の舞台裏を書き、本当にユーモラスを交えながらも「過酷」な面も書いて、コントラストに書いた作品ですが、読むと本当にモチベーションが上がる作品でもあります。
本当に、手塚先生も担当の編集者の方も、いろんな意味で「締め切り」との戦いだったんだなあと・・・。
劇中でも、手塚先生がレギュラーが8本(出版社もジャンルも違う!!)持っていたと言及されているように、現在では考えられない漫画家、作家として、活動されていました。生前のテレビに出演していた時の笑顔で明るい手塚先生とは、対照的に本当に身体に鞭打って漫画を執筆されていました。
そう書きながらも、手塚先生のバイタリティーの凄さや人柄が、この作品には書かれています。特に、「審査されるより応募する者として」の立場の漫画家としてのいたいと言う姿勢や「常に新しい感性」を求め続ける姿勢は勉強になります。因みに、目覚まし時計のスヌーズ機能について、「いや、そこまで」と言う位質問する手塚先生のバイタリティーの凄さは特筆に値します。アシスタントの方が、故郷へ急用で帰らなければならない時に、手塚先生が自分の名刺を渡して、空港に行ったら、空港の職員の方が先生の名刺を見て、飛行機に乗せてくれたエピソードは、手塚先生がどれだけ影響力があるかが分かるエピソードです・・・。
凄いと言えば、アメリカに原稿を上げずに行った話は、資料を持たずに、アメリカから直接電話で作画の指揮を行ったと言うエピソードの凄さ(資料も日本の何処にあるか記憶して指定している)や飛行機が揺れながらも、原稿を書き続けたエピソードは手塚先生の凄さが分かるエピソードです。帰国後、ホテルでカンズメになり、原稿を書き上げる話は、当時アシスタントだった漫画家のわたべ淳先生の急きょ救急車を書く事になり、ホテルと言う資料もない場所で、切羽詰まった状況下で(電話で救急車を呼ぼうか悩んだ)、ちょうど、子供がホテルで乗り物の本を読んでいたのを見て、貸して貰い難を逃れたエピソードを見ると、人間は極限状態になると、本当に「力」が出たり、奇跡と思えるような出来事が生まれるんだなと思いました(本当に子供が乗り物の本を読んでて良かった)。
他にも、24時間テレビのアニメ制作秘話や本作の影の主役の当時の週刊少年チャンピオン編集長の壁村耐三氏(カベさん)と赤塚不二夫先生のエピソードと1巻は枚挙に尽きない内容になっています。
2巻以降も、凄いエピソードがあり、何れだけ手塚治虫先生の執筆するエネルギーやバイタリティーの一端が伺い知れます。
さあ、また、「ブラックジャック創作㊙️話」を読んで、モチベーションを上げるぞ!!