有森裕子さんと小出義雄監督
先週の土日にあったスペシャルオリンピックス
ボランティアのレポートを昨日投稿しましたが、
そのスペシャルオリンピックス日本の理事長
有森裕子さんのお話を。
有森裕子さんは
バルセロナ五輪で銀メダル
アトランタ五輪で銅メダル
と2大会連続メダル獲得。
2大会連続の五輪メダル獲得は、
日本女子陸上選手では有森さんが初。
ゴール後のインタビューで
「メダルの色は、銅かもしれませんけれども…、
終わってから、なんでもっと頑張れなかった
のかと思うレースはしたくなかったし、
今回はそう思っていないし・・・、
初めて自分で自分をほめたいと思います」
と涙ながらに語った姿は感動を呼びました。
その有森選手、学生の頃から有名選手かというと…
そうでもないらしいのです。
小さいころから股関節脱臼を繰り返して、
さらに小学校5年生のときに交通事故にも
遭っていました。
でも、高校で陸上部へ入部。
そして、卒業後も走ることを続けたいと
実業団入りを考えます。
しかし、入れるわけがありません。
そんなときに、友人から
「リクルートという会社に
新しく陸上部ができた。
今5人くらいいるけど、
走りたい子をほしがっている。
だれでもいいみたいよ。」
でも、もちろん誰でもいいわけではありませんでした。
彼女は断られます。
そのへんの中学生、高校生よりも足が遅かったのです。
当時の監督と有森さんの会話です…
(監督)「ところで国体何位?」
(有森)「すみません国体出てないんですけど」
(監督)「あ、そうだったのか、
だったら京都の駅伝、
高校の時あったでしょう?」
(有森)「3年間補欠だったんですけど」
そのときのことを小出監督はこう語っています。
「実績がないからしばらく放っておいたんです。
でもあいつしつこいの(笑)
何回も電話かけてくる。
さらに大学の先生の紹介状まで書かせてきて、
その先生が僕の知り合いだったんだよ」
ひとまず練習で走らせてみると…
案の定、みんなの最後をトコトコ走っている。
そも有森さんは監督に言いました。
「私はオリンピックで走るために
この会社に入りました。
そのためだったらどんな練習にも耐えます。
私はほかの人が
1時間練習するなら、2時間頑張れます。」
想いに共鳴した監督の名は
「小出義雄監督」
あの小出義雄監督!
最高の人には、想いで共鳴するしかないんですね。
だって、どう考えたって、
そのときの実力じゃ考えられないです。
エリート中のエリートしか入れない実業団陸上部に入って、
その後、オリンピックで2度メダルを獲る人になるのですから。
やっぱり志ですね。
志があれば素人同然の選手からオリンピックのメダリストにワープする!
今日もお付き合いいただきありがとうございます。
今日も頑張っていきましょう♪
水曜日だけど、金陽でした(^^
【沖縄の営業マン宮城の日々感じていることブログ】
(ブログ112日目)2022.11.9
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