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自分史上最高のキャプテン②

昨日の続きです。
 
SMさんの学校は甲子園出場。
SMさんは背番号10番で
沖縄県代表旗をもって甲子園入場。
 
同じ年、石川県代表星稜高校には
のちにジャイアンツの4番バッター
メジャーリーグ、ニューヨークヤンキースの
主軸になった
あの、松井秀喜さんが甲子園を沸かせました。
 
松井秀喜さんも星稜高校のキャプテン。
 
開会式の中で、
国旗と大会旗を各校のキャプテンがロープを引いてあげるという行為。
 
なんとSMさんのとなりには松井秀喜選手がいたそうです。
となりになったとき、体のデカさと顔のデカさが
すごかったと言っていました。
 
そのときの会話
松井さん「〇〇さん、1回戦どこと?」
SMさん「神奈川の桐蔭学園です。」
松井さん「・・・がんばってね」
SMさん「はい」
 
そう、その年の高校は優勝候補筆頭。
前評判は松井選手のいる星稜高校より上。
のちのジャイアンツの4番バッターになり、
松井さんのチームメイトにもなった高橋由伸選手がいるチーム。
 
SMさんはそのくじを引いて
「なんてことをしてしまったんだ…(泣)」
となったそうです。
 
でもそこで負けないのがこのヤンチャ集団。
 
「甲子園にきたらどこでも強いだろ」
とだれも気にしない雰囲気だったそうです。
 
開会式直後の試合、
いわゆる開幕戦。
桐蔭学園との対戦は、大方の予想に反して(失礼!)
延長12回の激闘の末、
5-4でSMさんの学校の勝利。
開幕試合から波乱の幕開け。
SMさんチームはジャイアントキリングをやってのけます。
 
このすべてのことにSMさんは絡んでいます。
 
彼じゃなかったらこのチーム、
まとめることはできなかったと思います。
 
いろんなキャプテンのタイプがいると思いますが、
彼は縁の下の力持ち的キャプテン。
すべてを否定せず、肯定的に受け入れるキャプテン。
 
ペコパより前に相手を否定しないスタイルを
確立していたのがSMさんでした。
 
実は僕、SMさんとは
専門学校が一緒。
1学年違いでしたが、
野球も一緒にやりました。
 
専門学校卒業後、
就職した先で、1年後に入社したのが
SMさん。
 
たのしいときも、つらいときも、
月の手取りが10万に達しなくて
泣きたくなっていた時も
ずっと一緒にいました。
 
僕は彼のやさしさの中に強さがあることを知っています。
 
だれよりも我慢強い事、
そしてここというときに力を発揮できる
人だということを知っています。
 
僕の中での史上最高のキャプテン。
SMさんのお話を2回連続でさせてもらいました。
 
 
今日もお付き合いいただきありがとうございます。
今日も頑張っていきましょう♪
金曜日に、金陽でした(^^
 
【沖縄の営業マン宮城の日々感じていることブログ】
(ブログ連続149日目)2022.12.16
 
(あくまでも宮城の勝手な考えです、あしからず♪)

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