地元で聴く歴史のおもしろさ
昨日、地元南城市佐敷津波古の
津波古公民館で琉球歴史研究家賀数仁然さん
歴史講座「尚円金丸の野望」
がありました。
なんてったって第一尚氏尚巴志を生んだ佐敷
熱の高さがハンパなかったです。
なぜ尚巴志はこんな小さなところから
三山統一という、とんでもないことができたのか。
それは視野の広さ。
目の前だけを見ていない。
地元や南山、そして琉球全体だけではなく
そして中国、日本、韓国だけでもなく
アジア全体を見ていた。
そしてサンゴ礁でできている鉄の取れない
この島で、金属加工ができる加工所まで
もつことのできた尚巴志は広く
世界に出ていくことができた。
視野の広さは大谷翔平選手にも見て取れますね。
今や世界一の野球選手です。
地元や東北、そして日本ではなく
早いうちから広く世界の舞台での活躍を
イメージで来ていた大谷翔平選手が尚巴志とかぶります。
賀数仁然さんの講座は何度も受けていますが、
地元で受けるのは初。
僕はこの佐敷津波古に住んで13年になりますが、
ここに住む時にある人から注意されたことがありました。
「佐敷は第一尚氏の子孫が多く住む地、
言葉とか行動には気をつけろよ。
世が世なら話すらできない人もいる。
失礼なことしたら、
打ち首になることになるぞ。
言葉と行動には気をつけろ」
半分おどしのように言われて移り住んできました(笑)
そういう地で受けた初めての
賀数仁然さんの琉球歴史講座。
会場に入った時から普通じゃない空気を感じていました。
なぜ日曜日の10時という時間なのに
こんなに凛とした空気があるのか…
答えは講座終盤にわかりました。
なんと、会場にいた30名くらいの人のうち
7~8名が第一尚氏の子孫or関係者。
区長さんまでそういう人でした。
おそるべし佐敷!
第二尚氏はクーデターで第一尚氏から
政権をとったとなっていますが、
普通そうならば第一尚氏の関係者は滅ぼすもの。
そうしなかった理由というのも
賀数仁然さんから学べばわかります。
この第二尚氏のご子孫さんの一人が言っていました。
「身内だけで静かにやっていた行事がある」
とのこと(なんかリアル!!)
また、尚巴志によって三山統一されたときに
滅ぼされた北山攀安知(はんあんち)の子孫が
佐敷にも多くいること、
その子孫の方が会場にいましたが、
「去年攀安知生誕600年のお祝いをした」
と話されていました。
なんかゾクゾクする事実が多く、
日曜日の朝からテンション上がる講座でした。
「歴史書というのは時の権力者によって
作られる。だから歴史研究というのは
書物だけを頼りにしてはいけないんです
ある出来事にスポットライトを当てると
そのライトを当てられているところとは別に
ライトが当たっていない闇がでてくる
そこを解き明かして、
貼り合わせて繋ぎ合わせて
歴史をひも解いていくのです」
笑いどころの多い仁然さんの講座ですが
真面目にビシっと決めてくれるところがあります。
以前に
「歴史研究家は謙虚でないといけない」
と言っていた意味が少しわかる気がします。
いろいろありすぎて何を言っているのか
わからなくなってきましたが…
宮城は歴史が好きということです。以上。
今日もお付き合いいただきありがとうございます。
今日も頑張っていきましょう♪
月曜日だけど、金陽でした(^^
【沖縄の営業マン宮城の日々感じていることブログ】
(ブログ連続投稿817日目)2024.10.14
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(※あくまでも宮城の個人的な感想、意見です。あしからずm(__)m)
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