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「自信があるならうちに来なさい。自信がないのなら…甲子園をかけて敵として戦おう」

先日、ずっと前から会いたかった人に会えました。
大城直也さん。
名門沖縄水産高校で1年夏からレギュラー、
3年生では春夏甲子園出場。
高校2年生の時に神宮大会決勝で松坂と対戦。
タイムリーヒットを放つ。
その後九州共立大学、社会人エネオスを経て、
沖縄電力硬式野球部へ。
まさに野球エリートの方です。

直也さんが高校時代、
母校の那覇商業との対戦の時に初めて
直也さんを見ました。
武士のようなたたずまい、
完全に一振りで仕留める雰囲気をまとった打者。
「あれが大城直也か・・・」
そう感じたのを思い出します。

孤高の天才と言われ、
あの落合が唯一認めた男
イチローが目指した男
元広島カープの
前田智徳さんとかぶります。

僕は勝手に「沖縄の前田智徳」と
直也さんのことをカゲでそう呼んでました(笑)

直也さんは10歳上の兄の影響で6歳から野球をはじめ、
小学校時代から頭角を現す。
中学校3年の時には県内外から多くのスカウト。
その中で、沖縄水産の名将裁監督の言葉が

「自信があるならうちに来なさい。
 自信がないのなら…甲子園をかけて敵として戦おう」

多くのスカウトが、直也さんを欲しがって
自宅に押し掛けたそうです。
「君がほしい」
「君の力が必要だ」
「君が来たら甲子園に行ける」
「プロに行きたいのなら設備の整った
 うちに来てほしい」
・・・

中学3年生の自分にスリスリ寄ってくる大人の姿に
違和感を感じながらも、
中学生の直也少年は
「オレはそう評価されてるんだ」
といい気になっていたそうです。

そこでスカウトとして最後に登場したのが
沖縄水産の名将、裁弘義監督。
家に入ってきた時から雰囲気が違ったそうです。
でも、直也さんは小学校の頃に見た
沖縄水産の試合で、
球場全体、また審判までもが沖縄水産寄りに
見えて、「この学校キライ」と
沖縄水産は嫌いな学校だったそうです。
「沖縄水産だけには行かない」
と決めたいたとのこと。
行きたい高校はもう決めていた。
最後にいくら裁監督が来たとしても
オレの考えは変わらないよ・・・
そう思っていたそうです。

面談で裁監督は、
直也さんのことを一言も褒めることなく、
自身の考え、沖縄水産の野球環境のこと
だけを話し、最後に
「自信があるならうちに来なさい。
 自信がないのなら…甲子園をかけて敵として戦おう」

自宅で、両親と直也さん。
そして裁監督とトレーナーの方との
短い会談のあと、
裁監督を玄関で見送った後、
「オレ、沖縄水産に行くね」
と父親に言ったそうです。

決めた学校があったのに、
あの短い会談で直也少年の気持ちを
人生までも
ガラっと変えた裁監督の言葉。

やはり名将、言葉が磨かれています。
そういわれた瞬間から直也さんは
裁監督のマジックにかかったのかもしれません。

沖縄水産で多くのことを学び、
沖縄水産を選んでよかったという直也さん。
名将裁監督は、言葉も磨かれている。
多くの野球少年の人生を導いていったのですね。

もはや歴史上の偉人になった裁監督の
見たことのなかった一面を見せてもらった
気がしました。

直也さんとのお話では
ほかにもいくつかの気づきがありました。

また、改めて投稿させていただきます。

写真は直也さんと僕です。
本人の了解を得て載せさせてもらっています。

今日もお付き合いいただきありがとうございました。
今日は土曜日。
休みの人も、お仕事の人もいると思います。
どちらの方にも楽しい一日でありますように♪
土曜日だけど、金陽でした(^^♪

【沖縄の営業マン宮城の日々感じていることブログ】
(ブログ38日目)2022.8.27





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