明かりを吹き消すのか、灯すのか?
この世界は良心だけで、できていない。
美しい輝きや、暖かいぬくもりもあるけれど、光があれば影もあり、醜い欲望や、目を背けたくなる残虐な出来事も後を絶たない。
だから、優しくて純粋な君のことが私は心配になる。
世界の悪意に触れたとき、君はそれに耐えられるのだろうかと。
この世界に失望してしまいやしないかと。
世界がもっと明るく優しさに満ちたものであれば良いと思うけれど、私が生まれてこのかた、世界はバランスを崩す一方で、それを食い止められない母の世代を君は恨むだろうか?
この世界に、良心は確かに存在している。
けれども、悪意や闇も確かに存在している。
そのどちらか片方だけ見て世界を語るのは、片手落ちだ。
ポジティブに生きることを、この世界の明るい面だけを見ることだと誤解している人もいる。
どんなに目を背けても世界のダークな面はなくならない。
あなたの中のネガティブな感情が、どんなに隠したとしても決してなくならないのと同じように。
だからと言って、この世界のネガティブさを逃げ道にするのがいいとは思わない。
世界が汚いからといって、あなたは世界をゴミだめにする片棒を担ぎたいのだろうか?
世界には光と陰がある。
それは、決してなくならない。
だからこそ、私たちは、希望という明かりを灯さないといけないのだ。
なんてことを言うと、お前は世界を救う救世主か何かのつもりかと罵られるかもしれない。
でも、私がここで言いたいのは、そんな大仰なことじゃない。
自分のこの行動は、明かりを灯すのか、吹き消すのか。
毎日の生活の中の行動において、それを考えてほしいだけだ。
お腹の大きい妊婦さんにバスで席を譲ってあげること。
前を歩く人が落としたハンカチを拾って声をかけてあげること。
誕生日を迎えるパートナーのために、食卓をお花で飾ってあげること。
毎日の生活にちょっとした心の明かりを灯す。
それを世界中の人が実践したのなら、あしたの世界はきっとちょっとはマシになっている。
今日よりもあした。
あしたよりもあさって。
ちょっとずつでいいのだ。
私のために、子どもたちの未来のために、この世界を残すために。
そんなことを、時々は真面目に考えてしまう。
それは、母親という役割を私に与えてくれる娘のおかげなのかもしれない。
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