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チョコレートはライターの必要経費


原稿を書いていると、むしょうに甘いものが食べたくなる。

頭の中が、言葉のぐるぐる渦巻きで鳴門海峡状態になっているとき。
あるいは、猫が面白がって遊んでぐちゃぐちゃに絡まってしまった毛糸みたいになっているとき。
こんな時は、甘いものがついほしくなる。
餡子や、キャラメル、クッキーなど甘いものといってもいろいろある。
けれど、私の原稿のお供は、やっぱりチョコがいい。

それも今時流行りの高カカオチョコなどではいけない。
典型的な甘ったるいミルクチョコレートがいいのだ。
そして、食べるなら、やっぱりおいしいチョコに限る。

おいしいといっても、ゴディバやロイズとか、まさかそこまでの高望みはしない。
まあ、高望みしたところで、私の住むアジアの田舎町では手に入らない。
明治の板チョコで十分に満足なのであるが、もちろん、それすら入手不可能だ。
それで、時々、町中のスーパーに出かけて、板チョコを、やましい気持ちと戦いながら購入する。

なぜ、やましいのか?
それは、チョコが高カロリーだからではない。
あまりにも高級品すぎるからだ。

何しろ板チョコとは言えスイスやベルギーからの輸入品。
1枚300円から400円もする。
ネパール製の安いチョコもあるにはあるが、子供の騙しのようなウエハースチョコなど私にとってはチョコではない。
納得できる品質のチョコとなると、やはりそれくらいの出費は免れない。
が、日本より物価の安い国で、そんな値段のチョコを買うのは、極めて贅沢な話なのだ。

だって、この板チョコ一枚買うお金で何ができると思う?

定食屋のベジカレーセットが2回も食べられるんだよ。
市内バスなら15回は乗れる。
八百屋で4人家族4日分の野菜は買える。

そんな高級なチョコを自分のためだけに買って、自分だけが食べるなんてそりゃ罪悪感にかられるってものでしょう。
じゃあ、家族みんなで分けて食べればいいじゃないと言われるかもしれないけれど、原稿が行き詰まったときの特効薬なのだからみんなで食べては意味がない。
それにみんなで食べるなら、子供騙しのメイドインネパールのチョコだっていいじゃないか。

そんなことを思いながら、チョコレートの棚を通り過ぎ、しばらくするとまた戻り、棚の前で考え込むという行動を数回繰り返すのが常なのだ。
買わなきゃ買わないで家に帰って、買ってくればよかったと後悔し、買ったら買ったで、贅沢な買い物をしてしまったと後悔する。

どうせ後悔するなら、食べちゃったもん勝ちだし、どうせ食べちゃうのだから、もうこのくらいの出費は必要経費と割り切っちゃった方が精神衛生上よろしいとは思うのだが。
いやいや、こういう時に限って主婦根性が顔を出してくる。
コノ チヨコレイト ハ カケイ ヲ アッパク スルゾ
なんてね。
出てこんでよろしいというのに…。

それでも、やっぱり最後は誘惑に勝てず、ちゃっかりスーパーのカゴに収まる愛しの板チョコ。

時々は、一気に一枚丸かじりという大人買いならぬ“大人食べ”なんぞしてみたくなるけれど、ここは、ガマン、ひたすら我慢。
何しろ超高級品ですからね。
大事に味わって食べるべし。

5行×3列ときれいに並んだ板チョコのセル一個を大事に大事に口に含んでコーヒーを飲むのが、私の至福のひとときなのだ。
さらに言わせてももらえば、キリマンジャロかハワイコナのコーヒー(もちろん砂糖ミルクなし)と甘いミルクチョコの組み合わせは私にとっては最強。

と、板チョコ一枚の話で、こんなに引っ張ってどうするんだって、誰も突っ込んでくれんからダラダラと書いてしまった。

まあ、つまり、ライターにはチョコレート代も必要経費のうちということで、自分を正当化して、この記事は唐突に終わるのである。



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