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住んでいると見えなくなるもの


ネパールに暮らし始めて、21年になる。

そして、思う。
住んでみないとわからないことって本当に多いなと。

旅人の頃の私は、私がみたいネパールの一面だけを見てきたのだと思い知らされることも多い。
笑顔の裏にある、諦念感や、見栄、悲しさ、嘘なんかは、見えないほうがよかったなあと思ったりする。

表の顔だけを見て、古き良き日本を重ねる旅人にかすかな苛立ちを覚えてしまうこともある。
かつての私がそうだったくせに。

住んでいると、否応なしに、旅人の時には見えなかったものが見えてくる。
旅人の時には理解できなかった『?』に納得する答えが得られることもある。

けれども住んでいると見えなくなるものもある。

旅人の時に感動したちょっとした街角の何気ない風景。
旅人の時にほっとした現地の人の小さな親切。
旅人の時にのんびりとくつろげた、まったりと流れるネパールタイム。

ちゃんと見えていたはずなのに、気がついたら見えなくなっていることに愕然としてしまう。

時々、初めてネパールを訪れたと旅人と話しているうちにふっと思い出す。
あ、この感覚、どっかで知ってたよなって。
それは、私の中にもかつてあった新しい土地での興奮だったり、感動だったり…。恋心にも似たトキメキだったりする。
なくしてしまったからこそ、その感覚が愛おしく懐かしい。

旅人だった頃のネパールと、住んでみてからのネパールが違うのは当然で、そうじゃなきゃまずいんだろうけど。

住んでいるから見えるものがあるように、
住んでいるから見えなくなるものがあるってことを、
忘れないようにしないとな、と思うのである。


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