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【自分語りコーナー】最近忘れかけていたみやちゃん's人生の目的

先日内定先との面談が終わり、改めて自分はどう生きたいのか考えるムーブに入った。将来見返して、「こんな悩む時期あったやん〜乗り越えたえらい!」って思えることを願って今の感情を記しておこうと思う。
※最近守りに入ってしまっていた自分に対する喝を込めたnoteなので、読み飛ばしてもらって全く問題ありません。なんだかんだ意識してきたものの言語化するのが初めてなのでグダグダかもです。
※ミスドを食べながら語っているので見出し画像がミスドです
※白いポンデリング美味しい

私が自分の生き方を決めたのは12歳の時で、「自分よりも弱い立場の人を助けられる存在になること」だった。背景としては、自身は何のマイノリティにも属していない所謂”普通”の人間だったが、周りには障害を持った知り合いがいたり経済的に余裕のない家庭の親友がいたりと。この2つの存在がとても大きく、1つでも何かのマイノリティに入るとこんなに生きづらくなるんだと幼心に思った。

特に、親友は3兄弟のうちの長女で、シングルマザーである母親に迷惑をかけれないと言って自分の可能性を狭めているように見えて、その度に胸がキュッとなった。だからこそ「私がなんとかするから!」と心に決めて、大学受験に望んだ。元々現役時は貧困や障害、ジャンダーなど後に興味を持つことになる社会学部を受験していた。そして浪人をすることになるが、ふと社会学部生の主な進路についてパンフレットで見た際に「銀行員」など関係なさそうなものが並んでいたことに違和感を覚え、「社会学学んだのになんで?それじゃ親友を救えない!」と直感的に思い(当時はあまりにも職種理解がなかったのでお許しを)、地域活性化について実践的に学ぶことのできる"政策系"の学部に進学することに決めた。理由は、三重県の手のひらに収まるレベルしかない国公立しか選択肢がなかった親友に対して、「三重県が大阪や東京だったらもっと選択肢が多かったのに」と思い、田舎にも人生の選択肢を増やしたかったため。それくらい、親友のことが気がかりで仕方がなかった(多分本人は人の人生に大きな影響を与えたことなど知らない)。

そして大学1年、2年生は地域活性化について勉強した。正直何を学んだか今になってあまり思い出せないので、過去のレジュメを見て復習します(自戒)。
2年生の夏にカナダ留学に行く予定だったことも、異文化を知り日本の地方の魅力を英語で海外に発信できるようになりたかったからだった。
地域活性化の勉強を辞めて社会学に転身した理由は、コロナの影響だった。1年生の3月にコロナがやって来て、頼みにしていた2年生時の留学が中止になり、いつも一緒にいた人たちと会うことが突然遮断されてしまった。この2つは私に打撃を与え、毎日何のために生きているんだろうと無気力で苦しい時期が続いた。あまり人に頼ることができない性だったため、孤独感のSOSを伝えることもできなかった。
ふと「もうダメかも」と思ったあの感覚を思い出すと涙が出そうになる。だけどあの瞬間こそがターニングポイントで、「生きづらさ」について学ぶために何がなんでも社会学のゼミに入ろうと決めた。

地域活性化に折り合いがつけれたのは、コロナで地方と都会の差が縮まっていったと実感できたこともある。親友も手に職つけて、その気になれば都会に行くこともできる年齢になったので、地域に絞るのではなくもっと包括的に様々な人の生きづらさにフォーカスできる社会学がしっくりきた。

その後はコロナ禍の生きづらさに関する調査研究、家庭に少し問題を抱える中高生の学習支援、障害児に対するトレーニングの提供を行うスタートアップでのインターン、社会的弱者を排除しない国民性を持つカナダで社会学を専攻しつつ移民局のボランティアなどを行った。
正直、そこで得られた経験はもっと濃いものにできたと思うので後悔は残る。ただただ自分が未熟で、生まれ持つ繊細さと戦って常に負けていた印象。どうやったら上手く折り合いつけられるんだろう。いつまで経っても不必要に感情移入してしまい、助けられる存在になれないと痛感する。悔しい。
だからこそ就職先には、"間接的に"私が助けたい人たちを助けられる、気候変動や資源枯渇を始めとする環境問題に本気で取り組んでいる会社を選んだ。少しでも私の行動が社会を変える一歩になっているのであれば、辛くてもやりがいを持って働けると信じている。

ちょっと何について書いてたか忘れかけましたが、12歳の頃から今まで「誰かの助けになりたい」と思った気持ちがブレたことはなかった。だけど、最近は目の前の新しい楽しいことに飛び込む日々が続いていたから昔からの気持ちを思い起こしたかった。そうじゃないと自身の価値が失われる気がしたし、どこに向けて頑張れば良いか決断できない。
10代は正解があるけど20代は正解がないって本で読んだけどまさにその通りで、人を助けると言っても私が助けられることの方が多いし色々なやり方があるから悩ましい。それが楽しいと思える自分に早くなりたいなぁ、けど願うだけじゃ叶わないから、行動に移せるマインド(絶賛PMS)になったら移したいな。

広報という職種をやってみたい、と思った理由は沢山ある。職務内容を勉強するにつれ「大変そうやけど楽しそう!ワクワクする!」「自分が好きな商品・会社を自分の力で広められるなんて、なんて素敵なお仕事なんだ」という気持ちになったことが大きい。本で勉強するのは簡単だが、会社や商品の知識をパンパンに入れることはもちろん、自社の魅力が最大限伝わる取材対応や企画立案、各ステークホルダーとの関係構築など実践するのはとてつもなく難しいんだろうなと思う。だからこそ、第一線で活躍されている広報の方々はかっこいいし憧れ。そしてやっぱり強い女性の象徴で、私も誰かに勇気を与えられる存在になりたいと切に思う。

そして、ここでは広報という職種をどう自分の人生に生かすかについて考えたい。
会社に所属するなら、その会社が自分のアイデンティティとなり、「会社の商材がこんな人たちを救える、だから私は推している」と考えるのが自流ベストか。もちろん相手によって出す情報は変える必要があるが、私はこういう心構えで仕事が出来れば、12歳の目的からは遠く離れていなくて近づけるのかもしれない。そんな会社が世の中に知られていけば、きっと見えないところで誰かを救える。


やばいこんなに書いちゃった!!笑という感じで我に返れるくらいに覚悟決めれたので(今日ずっと人生の目的について考えていた)〆ようと思う。
私の推しの安室ちゃんと潔世一になる!って決意はまた今度書こうかなぁ。

今日も皆さんにとって良い1日になりますように☀️
Have a great Monday:)
↑人の幸せを願うこの言葉が大好きです。日本にいてもマインド忘れずにいくでぃ



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