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きょうの小風景 (3) 宇治川散策

今日は月曜日だが春分で祝日。ふらっと宇治の方まで足を伸ばした。

宇治川のそばの駐車場には、県外の車がたくさん停まっていた。平等院の辺りは、人で混んでいた。平等院の参道を抜けて、右手の平等院へは行かず左手の塔の島へ歩いて行く。数段の階段を登ると、土手に出る。上流にある天瀬ダムが放流された後なのだろう。宇治川の南の土手から見る川は、迫力のある流れだった。

久しぶりに土手から続く橋を渡って塔の島へ足を運ぶ。のどかな天気に誘われて、多くの子連れがこの自然を楽しんでいた。レジャーシートを敷いてピクニックを楽しんでいる人達も見かけた。そこかしこに植えられている桜も小さな蕾をつけていて、一気に花を咲かせるタイミングを待っているようだった。川沿いに歩いていくと、平等院側の岸に舟が繋がれているのが目に入った。この宇治川は夏になると鵜飼がある。今はまだシーズンではない舟達は、岸辺に並んでその時期を待っていた。

 ふと振り返ると、塔の島から北側までの橋が出来ていることに気づいた。いつの間に作られたのだろう。もう何十年も来ていないことに、改めて気づいた。鮮やかな欄干の色と川の色合いが美しく、思わずカメラを向けた。その朝霧橋を渡ると、宇治神社の赤い鳥居があった。ずーっと坂になっていて、登る自信がない。諦めて振り返るとそこには源氏物語の宇治十帖の主人公である匂宮と浮舟の銅像があった。その辺りを歩くと、昔来た時と様子が変わっていた。昔友だちと入った喫茶店も、路から見つけることはできなかった。ガッカリして、来た道を引き返した。橋を渡って戻り塔の島をまたぶらぶら歩いた。


五十五年前、私は縁があって京都に来た。京の名所はたくさんある。田舎で暮らしている母に、太秦の映画村や今はなくなった美空ひばり館へ連れて行った。当時老人会で月一回集まる時
「京都の娘の所へいってきたんや」
と皆んなに話すのだと聞いて嬉しかった。

三十年前母に、宇治の平等院を案内した時のことを思い出した。京阪宇治駅をおりてしばらく歩き、宇治橋の手前を左手に入ると、平等院に続く参道だ。両側の店屋の間の石畳を進むと、正面に平等院がある。受付で拝観料を払って、奥に進んだ。鳳凰堂の阿弥陀如来像は、穏やかな御顔で拝む人を幸せにしてくれる。その坐像のまわりの壁には三方に雲中供養菩薩像が配置されていて、何十体も阿弥陀様の周りを飛んでいるかのようだ。外に出ると池があり、そこから阿弥陀様を見る。阿弥陀様の顔の辺りだけ、格子がくり抜かれていて、外からでも拝めるようになっていた。池を背景に十円玉の裏を見せて 
「これが図案の元になったんや」と平等院を指差す。
「ふーん」
と感心して10円玉と見比べていた。
鳳凰堂の屋根に、黄金色に輝く鳳凰を見て
「すごい、きれいや」
といつまでも見上げていた。
平等院を出ると宇治川に行った。
三重県からわざわざ来てくれた母を喜ばせたくて、前に見かけた宇治茶ソフトクリームを買ってこようと思った。
「ちょっと待ってて」
と、年取って疲れている母に参道の上がった辺りの土手で待ってもらった。急いで買いに行くが、当てにしていた店は閉まっていた。当時は珍しかったので近くには売っていなかった。あっちこっち探し周り、思っていたより遠い店でようやく買うことができた。ホッとして母の元に戻る。座っていた母は、疲れたような困ったような顔をしていた。今思うと知らない土地で10~20分も待っている間母は、『娘はどこまで行ったのか、いつかえってくるのか』と、置き去りにされて心細かったと思う。若かった私は、当時そういったことに気がつかなった。今になって振り返ると、すまない気持ちでいっぱいだが。亡くなった今は、謝ることも出来ない。

参道には昔は無かった店が、たくさん出来ていた。昔捜しあぐねたソフトクリームは、今軒並みにソフトクリームの旗がなびいている。平等院の通りの一軒の店で腰を下ろし、観光気分で宇治茶ソフトクリームを注文した。出来上がったあと、緑のソフトクリームの上から、お抹茶の粉末を2〜3回振りかけた。そのお抹茶の香りを味わいながら、昔の母を思い出す日帰り旅だった。

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推敲する前の文章も面白いから掲載したらと家族に言われたので試しに載せてみようと思う。恥ずかしいので限定公開にしている。

##### 推敲前の草稿 #####

宇治川散策

今日は月曜日だが祝日の為、娘の沙織と孫のテル君が墓参りに付き合ってくれた。ライフで花を買い、11時前に家をでた。
墓参りの時期とあって、車が数珠つなぎだった。

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