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トランプ2.0税制コンセプト:所得税をゼロにして関税収入で政府費用を賄う


第1章 トランプがアメリカ大統領になりそうだ

「ほぼトラ」

もしかするとまたトランプ政権になるかもしれないというのが「もしトラ」。ほぼトランプ政権になりそうだというのが「ほぼトラ」。そして今、「ほぼトラ」、つまりドナルド・トランプ前大統領の再登板が現実的なものになりつつある。

トランプ氏は共和党の候補者を決める予備選で、序盤から他の候補を圧倒し、既に共和党の公認候補となることが確実視されている。2024年6月27日のバイデン大統領とトランプ前大統領のテレビ討論会でも、トランプ前大統領がバイデン大統領を圧倒した。このテレビ討論会を見て、ニューヨーク・タイムズは、「再選を目指すバイデン大統領の不安定さを指摘し、バイデン氏に選挙戦から撤退するよう求める社説」を掲載した。

Deep Stateはトランプが大統領になると困るので、司法を武器化し、トランプ氏に色々の罪を押し付け、裁判にかけ、有罪判決を下した。しかしそのたびにトランプ支持派が増大した。民主党は、現職大統領のバイデンが自ら身を引かない限り公認指名が確実な情勢のため、2024年11月5日に行われる大統領選挙では、2020年と同じく「バイデンvsトランプの図式」となることがほぼ確定的となっている。最近では、バイデンはもはや老衰のため大統領の職務を遂行できないとして、8月頃バイデンに代わるものを公認指名するとも言われている。

つまり現在の状態のまま進むと、11月5日の米国大統領選挙で、トランプ氏が暗殺されなければ、そして2020年のように民主党員が郵便投票か何かで選挙不正を起こさなければ、ドナルド・トランプ氏がアメリカ大統領になるであろう。

トランプ氏は、ここのところ具体的に、大統領に就任したら実施するという政策を色々と立案し、これを発表している。同時に最近の情勢の動きに合わせてアジャストもしている。中国系の「TikTok」は、当初はこれをアメリカ人のデータが中国に抜かれるからとしてトランプ氏はアメリカから排除すると言っていたが、無党派層の若年層を味方につけるために、トランプ氏はTikTokを完全に排除するとは言わなくなった。

トランプ氏の「アジェンダ47」

トランプ氏の公約集である「アジェンダ47」には、次のような政策が列挙されている。

「通商政策」:
① 普遍的基本関税の導入
② 相互貿易法の創設
③ 中国への依存を完全に排除

「産業政策」:
① 米自動車産業の救済
② パリ協定からの再離脱
③ 低コストエネルギーと電力の提供
④ 自動車の排ガス規制の撤廃
⑤ 石油・ガスの生産者への減税

「外交政策」:
① 米国第一の外交政策の復活
② ウクライナ紛争の停止
③ ウクライナ向け備蓄品費用の欧州への払い戻し請求

「インフラ政策」
①生活水準を飛躍的に向上させる自由都市の建設
②州間高速道路システム以来の交通大革命
③住宅建設費と新車購入費の引き下げ
④若い親向けの子育て支援金

「行政改革」:
① 大統領が予算執行を停止できる没収権の復活
② 連邦政府の無駄な支出を削減し、米国民に減税で還元
③ Deep Stateを打倒する

「その他」:
① 大統領権限で不法移民・その子供への市民権の付与を廃止
② 不法移民への生活保護を廃止
③ 警察官の雇用・維持・訓練への積極投資
④ 麻薬中毒の危機を根絶する計画の発表

第2章 トランプ氏の新しい税制

「アジェンダ47」の「通商政策」では、ほとんどの外国製品を対象にした「普遍的基本関税」の導入や、中国の最恵国待遇の撤廃など、関税引き上げや対中政策が盛り込まれている。ただ中国については、最近経済的な危機に襲われている習近平がアメリカに譲歩する態度を示しているので、トランプ氏は「ディール」として、アメリカの国益になる政策を取るかもしれない。

「アメリカを再び偉大な国にする」というトランプ氏はこのようなしっかりした公約を「アジェンダ47」として明示した。

2024年6月14日にワシントンで開いた「共和党下院議員」との会合で、トランプ氏は「アジェンダ47」の中の「米国民への減税」「普遍的基本関税の導入」について、より具体的な内容を説明した。
トランプ氏の基本的な考えは、アメリカの経済構造を革新するということであるが、コンセプトとしては「国民の所得税をゼロにする」、そして「関税による収入で政府の費用を賄う」というものである。トランプ氏の一期目の大統領の時から、国民に対する減税を進めてきた。つまりアメリカ経済を、グローバル化ではなく、「大衆消費経済構造」に戻そういうのである。しかし今日のアメリカの経済構造では、これは夢みたいな話であるが、トランプ氏は、これをやらなければアメリカを偉大にすることはできないと思っている。

第3章 トランプ氏の所得税の構想

2024年6月13日、トランプ氏は、首都ワシントンで開かれた共和党下院議員との会合で、「来年失効する2017年税制改革法の延長と接客業チップ収入への課税免除に加え、関税引き上げを推し進める」と述べた。同会合に出席した複数の議員がこれを明らかにした。米議会では、税制改革が議論されることになりそうだ。

トランプ前大統領は「米国の所得税を廃止し、代わりに輸入関税を課す」ことを提案し、 6月13日、別の場所で、トランプ氏は、「最終的に米国が所得税を撤廃できるようにし『全関税政策』を課す」という考えを提起した。このことを、共和党の大統領候補との非公開の会合で、情報筋がCNBCに語った。

トランプ氏は更に、米大統領に就任したら、産業政策では、自動車産業の救済、パリ協定からの再離脱、低コストのエネルギーと電力の提供、自動車の排ガス規制の撤廃、石油などの生産者への減税など、国内の自動車産業やエネルギー産業を保護する方針を打ち出し、外交政策については、ウクライナ紛争の停止、ウクライナ向け備蓄品費用の欧州への払い戻し請求など、「米国第一主義の外交政策」の復活を主張している。これにはイノベーションによりアメリカの産業を活性化し、アメリカの国民を多く雇用しなければならない。

いずれにしても、トランプは、税率を低くし、小さい政府にし、国民を豊かにする事を進めるが、そのためにはバイデン・Deep Stateが仕掛けたグローバル化ではなく、国内産業の生産性を向上し、国民経済を発展させ、アメリカ国民を豊かにすることが重要になるとトランプ氏は確信している。そのために介入主義をやめ、戦争をしないとトランプ氏は言っている。トランプ前大統領は任期中の2016年から4年間、戦争をしなかった。ホワイトハウスでトランプ前大統領はDeep State・ネオコングルーから世界で戦争しようと迫られたが、トランプ前大統領はそれを拒否し続けた。アメリカの歴代の大統領で任期中に戦争しなかったのはドナルド・トランプ氏だけだった。

第4章 国民を豊かにする経済

過去の300年の人類の資本主義経済社会の歴史をもとにして見てみると、ある法則が見えてくる。

①   経済をグローバル化してはならない。グローバル化すると、為政者と資本をもった富裕層だけに富が吸収される。「国民経済主義」、[自国ファースト・ナショナリズム]でなければならない。

②   リカードの「比較優位生産主義」で、その国の風土・文化・歴史・習慣をもとにして商品を開発し、改良を重ねる。その商品の一部を国際分業で交易する。

③   国の生産高(GDP)の伸びは年率3%から5%にキープする。それより高い成長率は、人類社会や、自然界に害をもたらすことになる。それより低くなると経済社会はデフレになり、人間社会は沈む。

④   小さい政府で、租税:所得税はできるだけ低くする。国民の経済活動を萎縮させる消費税は撤廃しなければならない。

⑤   「所得格差」をできるだけ縮小すること。税金は国のため・国民のために使わなければならない。

⑥   自然・大地を敬い、人間性を深め、この100年間世界の人類が忘れてきた信仰心、思想、哲学、慈悲、共同体精神を取り戻す。特に日本は、大和心、日本精神、八紘一宇の精神を取り戻す。こうすると戦争も大不況も起こらなくなり、どの国の国民も豊かになる。

ドナルド・トランプ氏が、アメリカ大統領の第二期目で、これを達成しようとしているものである。

岸田首相は、バイデン大統領・Deep Stateの言う通りに動いているが、日本経済を再興し、日本国民を豊かにするには、ドナルド・トランプ氏の構想のように考えを変えなければならない。「増税メガネ」の岸田文雄には変身ができないであろうから、若い有能な日本のリーダーを選出しなければならない。


【参考】アメリカの課税の変遷

1.建国アメリカの高度大衆消費社会

トランプ氏の「所得税をゼロにする」ということは決して夢物語ではない。アメリカの建国以来1800年代半ばまでは、「所得税なし」という考えのアメリカ経済社会であった。

アメリカは、イギリスの清教徒達がイギリスより迫害を受け、それを逃れて「理想の国アメリカ」を作ろうとメイフラワー号に乗り、アメリカにたどり着いた。しかしその後イギリスは、清教徒も含めてアメリカをイギリスの植民地にして、いろいろな形で搾取をした。アメリカがイギリス、インドから輸入するものに対して、イギリスは破壊的な高関税、物品税を課した。そしてイギリスは、ラム・糖蜜税、ワイン・絹・コーヒーにも課税した。有名な1773年のボストン茶会事件がある。そして、今日のアメリカの日本に対してのように、イギリスは「アメリカを防衛してやるので税金を払え」とアメリカに迫った。

1775年に始まったアメリカ独立戦争は、イギリスが行った不当な課税に納得できないということで始まったもので、アメリカ植民地のイギリスからの独立の戦いであった。つまり、「新しい国:アメリカ」は、イギリスの税による支配から逃れるために、基本的に「租税」「課税」を嫌ったのである。 そして1776年、アメリカ合衆国が独立宣言をした。

こんな状況の中で、アメリカは、自力で産業を興し、経済力を増強する努力をした。そしてここから他国に介入しないというモンロー主義がでてきた。これは今日のトランプ氏の「MAGA」(Make America Great Again)で、「戦争はしない」という信念に通じている。

イギリスは産業革命を興し、イノベーションによる蒸気機関を発明・開発し、紡織産業・繊維産業・衣料産業を興し、さらに蒸気機関車で鉄道産業を広めた。そして強力な海軍を作り、7つの海を制した。これでイギリスは「世界の覇権の座」を確立した。

アメリカは、このイギリスの産業革命の実態を目撃し、理解したが、アメリカは別のイノベーションの道を選んだ。アメリカはヨーロッパから「ものづくりの基本技術」:精度と互換性、精密加工、精密測定技術、ムービング・アセンブリーを学び、「マスプロダクションの技術」を確立した。これは、アメリカ国民全体に色々の新しい商品を消費してもらい、アメリカ経済を成長させるという考えである。

1880年ころから、アメリカ国民が使いそうなもの、自転車、冷蔵庫、洗濯機、扇風機、金銭登録機、モーター、トラクター、フォークリフト、暖房機などありとあらゆるものを「大量生産」して、コストをドラスチックに下げ、安い価格で国民に売り、製品を普及させた。その最も重要なものがヘンリー・フォードのModel T車である。マスプロダクション製造工場で働く多くの人は高い賃金をもらい、新しい色々の製品を買って、生活を豊かにした。その当時は労働者が自動車を買って乗り回すことは夢でしかなかった。自動車は金持ちのおもちゃであった。ヘンリ―・フォードは、自動車をムービング・アッセンブリー・ラインで製造することによりModel Tの価格を劇的に安くし、労働者は自分が稼ぐ賃金でModel Tが買えるようになったのである。

こうした製品を製造する多くの企業が生まれ、南から多くの農民が北に移動し、北部のものづくりの工場で働いた。こうしてアメリカの「高度大衆消費社会」が誕生したのである。国民大衆が豊かになり、アメリカ経済は急成長した。このなかでウオルター・ルーサーが率いる労働組合組織ができ、ラルフ・ネーダーがリードした消費者運動も起こった。全国に張り巡らされたAAA(American Automotive Association)もできた。こうしていろいろの中間的な組織、共同体が生まれ、アメリカ社会は豊かになった。
こうしたアメリカのものづくりの新しい経済社会では、働く国民が主役になり、アメリカ国家はできるだけ「小さな政府」にした。従ってこの当時のアメリカ国民大衆には所得税は必要なかった。イギリスがアメリカに色々の商品を売りつけてきた。そこで関税を課し、その関税と奢侈品に対する物品税の収入で政府の経費を賄うことができたのである。
これがアメリカの「黄金時代」である。そしてこれにより「アメリカン・ドリーム」が生まれた。

ところが1861年に南北戦争が始まった。これはイギリスがアメリカの南部に焚き付けて、南部の農産物を安く買おうとした。これにはアメリカのDeep Stateも南部をサポートした。しかしリンカーン大統領が率いる北部は、アメリカの工業を育てるために保護主義をとり、関税をかけようとしたことで内戦になった。リンカーン大統領は戦費を賄うために、国が持っている「通貨発行権」に基づき「グリーン・ダラー」を発行した。今日のアメリカ・ドル紙幣の原型である。しかしDeep Stateがこれに猛反対した。Deep Stateは、アメリカ国家のもつ通貨発行権を奪って、Deep State自身の銀行であるFRB(連邦準備制度理事会 民間企業)に通貨発行権を移した。これは今日まで続いている。Deep Stateはこの点でアメリカ憲法に違反をしているのだが、Deep Stateには憲法などないとして、それを無視した。そのために1865年4月、Deep State・CIAはリンカーン大統領を暗殺した。
それでアメリカは、やむなく国民に所得税を徴収することにした。この所得税は、南北戦争が終わったあとに、一旦廃止された。だが、1894年に復興財源として再び所得税が導入された。しかしその翌年1895年には、所得税はアメリカ憲法に違反するとして廃止されたのである。

2.税金の猛威

第一次世界大戦直前の1913年2月に、合衆国加盟州の4分の3以上の同意を得て,第16次憲法修正法案として「所得税」が決議された。1913年、民主党のウイルソン大統領になり正式に「所得税」が決まり、以後今日までそれが続いている。この所得税制が採用された背景には、戦争するためにカネがいるので、それを国民から徴収するということであった。これにより連邦政府は永久的に所得税の徴収が認められ、個人・法人所得に対して税金の算定・課税・徴収権が与えられた。$3,000以上の課税所得に対して1%、$500,000を超える課税所得に対しては6%の税率が課せられた。
しかしこの税率は、第一次世界大戦の影響により戦費調達が跳ね上がり、1918年には77%に跳ね上がった。1913年の所得税の導入当初の総歳入に対して税収は10%程度であったが、1920年には税収が総歳入の73%に跳ね上がった。ウイルソン大統領は議会と協力して、戦費調達や戦争によって得られた臨時の所得への課税などを目的として短期的に最高税率を70%の水準にまで引き下げた。
戦争の影響で上がり続けた税率は、米財務長官のアンドリュー・メロンが「税金を下げることによりアメリカ経済の活動を活性化させる」として、総歳入の24%まで下げた。しかし1929年の世界大恐慌の煽りを受けて再び税率は引き上げられた。

税率と所得格差

アメリカは、1870年代から1900年頃まで、所得格差が著しく拡大した。1893年の選挙で大統領および両院の過半数を得た民主党は1894年に富裕者を狙い撃ちした所得税を導入した。これは4千ドルの所得控除をもうけたことで課税対象を富裕者に限定した上で、2%のフラット税金を課すものであった。しかし翌1895年に連邦最高裁判所はこれを違憲と判断したため、この所得税は短期間で廃止された。合衆国憲法は、州間で不平等が生じることを避けるため、第1章第9条第4項で直接税は人口調査に基づく割合によらなければ賦課することができないと定めているたが、1894年の所得税はその条件を満たしていなかった。
その一方でアメリカでは、所得格差が急速に拡大した。所得トップ1%の高額所得層の総所得にしめる割合は1920年の14.83%から1928年の23.94%に大きく上昇した。
しかし1929年に大恐慌が起こり、共和党のフーバー大統領は歳入減少や不況対策の公共投資拡大などで悪化した財政を立て直すために、超党派の賛成を得て最高税率を63%に大幅に引き下げた。
つまり最高税率を70%、90%に上げると、所得格差は縮小するが、最高税率を引き下げると所得格差は拡大するということになった。経済の拡大とともに資本を持っているものの所得は急激に上昇して、所得格差が拡大したのである。

日本でも1960年から1980年において経済は急成長したが、この間の最高税率は70%を超えていた。松下幸之助は「自分の所得に対する税率は70%を超えている」と言っていた。松下幸之助は70%という税率に文句を言ったのではなく、「所得格差の是正」について言及したのである。
そして、アメリカで1943年に導入された所得税の「源泉徴収」制度により、税金は早く、確実に徴収されることになった。そして日本にも「源泉徴収制度」は波及した。

アメリカは1960年後半から1980年初頭にかけてインフレになった。その結果、名目賃金が大きく上昇し、実質賃金があまり上がらないのに上位の税率区分に入り、それまで課税対象ではなかった人に納税義務が生じ、より高い税率が適用されることになった。レーガン大統領は1981年に「経済再建税法」を制定し、インフレの上昇率だけ各税率区分の上下金額・基礎控除を自動的に引き上げる仕組みを作った。

しかし2000年になりアメリカ経済のグローバル化がさらに進み、所得格差が拡大した。ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street OWS)は、経済的不平等と政治における金の影響に反対する2011年9月17日から11月15日まで59日間、多くのアメリカ市民がニューヨークのウォール街にあるズコッティ・パークに集まり、大規模な抗議デモが起こった。その後デモの群衆は、銀行、企業、大学キャンパス、ソーシャルメディアを占拠することに焦点を当てた。OWSのスローガンである「We are the 99%」は、アメリカにおける1%の富裕層とそれ以外の人々との間の所得と富の不平等を指している。

アメリカ経済が未曾有の好況にわく1920年代に入ると、最高税率は上昇していった。しかし1969年ニクソン大統領になり、税率が下げられ、1981年レーガン大統領になり税率は35%になった。しかしレーガン政権になりアメリカ経済はグローバル化され、大企業は国境を超えて海外に進出した。従って多くの大企業は、国内では税金を払わなくなり、税金の安い海外の国に法人を移し、「タックスヘイブン」に走った。そこで政府は、アメリカ企業が海外に出ないように法人税を下げ、個人の高額所得者への税率の上限も下げた。然しこれは効果が無かった。

1930年代から第二次世界大戦にかけて最高税率が引き上げられた時期(1931年から1945年)をみると、所得トップ10%が総所得に占める割合は44.54%から34.42%に下がり、所得トップ1%が総所得に占める割合は15.50%から12.52%に低下し、その後も1970年代まで低い水準が維持された。
しかし、1980年に入り最高税率が大幅に引き下げられると、所得上位者が総所得に占める割合は急上昇し、その傾向は現在まで続いている。つまり1980年から2015年にかけて所得トップ10%が総所得に占める割合は43.63%から50.47%に、所得トップ1%が総所得に占める割合は10.02%から22.03%に上昇している。

「ドナルド・トランプ2.0」完
2024年6月30日
三輪晴治