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美しさの本質とは:化粧とおしゃれを考察してみる

"からだにやさしい服"などといった宣伝コピーをよく耳にしますが、ほんとうはからだにやさしすぎる服をひとは求めないものなのです」・・・平易に要約すれば、おしゃれとは「やせ我慢」であるということである。

「美しさと健やかさの心理学」阿部恒之、東北大学大学院文学研究科心理学研究室、日本香粧品学会誌 Vol.44, No.1, (2020)、p.28

売れない理由が分かった

上記の論文を読んで、「そうだったのか」と合点がいきました。
何かというと、筆者の女性用下着オンラインショップでは、「からだにやさしい」「いかに体を締め付けないで体が楽か、シルク100%で健やかな肌を守るか」をこれでもかと強調しています。だから、ちっとも売れないのだと合点がいったのです。

女性は、たとえ締め付けられて痛かったり痒かったり皮膚炎になったりしても、「バスト補正力はないけど体にも肌にもよい下着より」「バストを寄せて上げてホールドして体のラインがきれいに見える下着」を選ぶのですね。おしゃれは「やせ我慢」、健康にも不快感にも勝るのです。

この論文では以下のように、「昔は健康を犠牲にしても美を求めたが、現代では美は健康とともにあるものと認識されるようになった」と主張されています。確かに昔と比べたら現代は「美だけ」でなく「美も健康も」と健康の重要性が認識されるようになり、両者の対立はなくなったと思います。しかし、現代人の「美」を求める願望・欲望の大きさの絶対値は、老いも若きも右肩上がりに大きくなっているように感じます。

人類史を俯瞰すると、美は健康を犠牲にしても求めるべき価値であった。いわば、美と健康は対立するものであった。しかし時代は移り、美は健康とともにあるもの、さらには美は健康の延長線上にあるものと認識されるに至った。

p.25 「1.はじめに」より

この論文は化粧品学会誌の論文なので、論旨は「化粧は良いこと。人間の心と体を癒やし、自意識や自尊心を満たし、化粧は心理・社会学的な機能を果たしている。」と化粧を全肯定しています。
でも、筆者は現在の「化粧」と「外見」を過剰に重視する風潮、それを煽る化粧品業界には賛同できないので、ここでは論旨を無視させていただき、この論文の「化粧、飾る」歴史などに関する面白い記述だけ紹介します。

なお、引用箇所毎に出典をフル記載すると長いので、以後は該当ページだけ出典記載します。
出典:
「美しさの本質を考える」日本香粧品学会誌 Vol.44, No.1, pp.25-29 (2020)
「美しさと健やかさの心理学」、阿部恒之、東北大学大学院文学研究科心理学研究室


人間以外の動物も化粧行為をする

トキは繁殖期になると肩のあたりから分泌される黒い色素をくちばしで羽に付けてメーキャップをするそうです。鳥は水浴びをして体をキレイにし、ゾーリムシは繊毛運動によって体表の酸を排除して体表の健康を保つそうです。ゾーリムシのような単細胞生物までスキンケアをするのですが、人間が加工された人工物を使ってスキンケアや化粧するのとは異なり、ゾーリムシたちは「自然物や自前の分泌物」を使います。

では、人類はいつから化粧をしていたか。
3万年程前のホモ・サピエンスは赤色オーカーという酸化鉄の粉末を用いて遺体を赤く染めて埋葬していたそうです。紀元前3500年頃のエジプト遺跡からはカバの形の化粧パレットが発掘されているそうです。そのパレットを使って綺麗な石を砕いてアイシャドウを作っていたとのことです。紀元前14世紀のツタンカーメン王の王座には香油を塗る絵が描かれているそうです。

このように人類は文明の初期の段階からメークアップやスキンケアをしていました。3万年前の人類も、単細胞生物も、鳥もするメークアップやスキンケアという行為は動物の遺伝子に組み込まれているとも言え、私たちはそれから逃れられないのかもしれません。

西洋と日本ではメークアップとスキンケアの概念的・言語的区別が違っていた

西洋では容貌を美しく見せる「メークアップ」と、肌の健康を維持・増進する「スキンケア」は明瞭に区別されていました。日本ではこの区別は希薄だったそうです。1999年に行われた調査では、60代の女性の多くは肌の手入れを「化粧下」「基礎化粧」と呼称していて、「スキンケア」と呼ぶのは20%に満たなかった。でも、若くなるほど「スキンケア」の呼称を使う人が増えて、20代になると50%を超えていたそうです。
言葉の違いは行動の違いにも表れていました。50代以上のスキンケア実施率は化粧準備をする朝のほうが高いけれども、それが40,30,20代と若年層になるに従って化粧を落として肌を休める夜のほうがスキンケア実施率が高くなっていったというように、かなり年代差があったそうです。

この調査は20年以上も昔の調査ですから、現在では「メークアップ」と「スキンケア」として概念的にも言葉的にも区別している女性は多くなっていると思います。

美 vs.健康

魏志倭人伝には、当時の日本の男性は顔と体に入れ墨をしていると記されているそうです。金属製の針がない時代なので尖った石などでガリガリ肌を引っ掻いて表皮下に色素を入れたと推測されるそうです。どんなに痛かったことでしょう。
女性の例では中国の纏足、西洋のコルセットがあり「それらも想像を超える苦痛を伴っていたはずであると」論文では言っていますが、纏足なんて痛いを通り越した激痛だったと思います。

人類は、健康上のリスクや苦痛、生活上の不都合を犠牲にしても、美を求める努力をしてきたのである。・・・意外と最近まで、美と健康は対立するものであり、長い間にわたって美が優勢だったが、20世紀後半に至って健康に軍配が傾いた。

p.26

とはいえ、コルセットや纏足のように酷い「美」はなくなりましたが、現代でもまだ若い女性の過激なダイエットによる痩せ過ぎや摂食障害など「健康上のリスクや苦痛を犠牲にして美を求める」努力は根強く残っています。

化粧をするなら「裏にあること」も知って

筆者は50歳を少し過ぎた頃から15年くらい、ほぼスッピンの生活をしています。持っているメークアップ品は口紅とアイブローだけ。スキンケアは10年間くらい洗顔だけでした。日焼け止めも使いません。さすがに還暦も何年か過ぎると冬の乾燥には耐えられなくなり、乳液だけ使うようにはなりました。

白髪も染めていません。最近はグレイヘアーとかいって、白髪も市民権を得た感じがしますが、15年前は「白髪も気にしないズボラな人」と変な目で見られることもありました。
あるイタリアレストランのカウンターで一人で食事をしていたとき、少し離れた席にいたカップルの女性のほうがズッと私を見ていて、彼に耳打ちしているのが聞こえてしまいました。「白髪も気にしないズボラなおばさん。あんなふうには年取りたくない」。筆者はまったく気にしませんでしたが、彼氏が彼女をちょっと諫めました。いい彼氏ですね。
この例だけでなく、なんとなく奇異な視線を感じることは多かったです。

化粧とスキンケアを止めたのはたくさんの理由があって、正直に書くと差し障りがあるので書けませんが、理由の一つは「動物実験」です。動物実験の実態を知ってから、動物たちの苦しみを顔に塗るようなおぞましさが拭えなかったからです。

化粧品の裏にどういうことがあるか。知ったうえで判断して化粧やスキンケアをしていただけたらいいな。心からそう思っています。

オマケの話題:ほうれい線など顔のたるみは頭蓋骨が縮むから

知ってました?
40代から体の骨より先に頭蓋骨が骨粗鬆になること。まず顎の骨から縮み始めるそうです。土台としての骨が縮むので、土台の上にある皮膚がたるむのは容易に想像できますね。その結果、ほうれい線が深くなり、ゴルゴ線ができ、目尻に皺ができ、目がくぼみ、頬が垂れて・・・老け顔になります。

30代からカルシウムを摂取し、適度に日に当たり、適度な運動をして骨を鍛えるのは、老け顔予防に必須です。