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自分史 「生誕〜年少」

はじめまして、平凡大学生「雅」です。
今回は、自分史を書き殴ってみました。
「お前誰だよ」、「興味ねーよ」と言う方もいらしゃると思いますが、自己分析しているんだなーといった温かい目でよろしくお願いします。

生誕

世間がシドニーオリンピックで盛り上がっていた2000年9月、私はこの世に生を享けた。
家族構成は父、母、姉(4歳上)、自分である。
父が大企業で働いていて、母は専業主婦を担っている。
生まれてこの方、何不自由なく生活できたのは父が一生懸命働いてきてくれて、母が完璧に家事をしてくれた証だ。
誕生日とクリスマスは毎年プレゼントをくれたし、入学式や運動会、授業参観などの学校行事の時は両親揃って見に来てくれた。
超貧乏でなければ超金持ちでもない普通の一般家庭に生まれたが、自分にとっては最高の家族だし、世界一の家庭で育てくれたことを誇りに思っている。

幼稚園 年少

生まれてから幼稚園に入るまでの記憶はほぼ無い。

親曰く牛乳よりも白米を好んでいたり、人前で大泣きしたことはほとんど無い優等生赤ちゃんだったらしい。
今でも覚えている記憶を辿ると幼稚園の年少(3歳)まで遡る。

私が通っていた幼稚園はバスで来るのが普通であるのだが、バス代と家からの距離を考えて徒歩で通っていた。
後に親から聞いた話ではあるが、ある程度裕福な家庭の子が通っていた幼稚園だったらしい。
無理して通わせてもらっていたことを知らない自分は徒歩で通っていることが嫌でしょうがなかった。
いつもは通勤ついでの父と一緒に幼稚園に行っていて、父が出張の時は母と一緒に行っていた。
そんなある日、父が出張で母と一緒に行く日のことである。
母が行く準備をしているのを待っていると突然母に怒られたのだ。
理由は今でも分からないのだが、当時母は家事と子育てに追われてストレスが溜まっていたのだろう。
結局、一人で歩いて行くことになった。。。
家から幼稚園までは歩いて約15分。3歳児が一人で歩くにしては危ない距離だ。
大泣きしながら幼稚園に着いたときには先生方が慌てていた。
それもそのはず、後ろを振り返ると母が先生方と話していた。
「なんでお母さんおるんや?」
という一抹の疑問を抱きながらも、幼稚園に着いた安心感でその日のお昼寝の時間は誰よりもぐっすり眠れたのであった。。

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