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桑田次郎(二郎) 8マン(原作:平井和正)

リアルタイムで白黒のアニメ「エイトマン」を観ていました。

♪ひかる~うみ、ひかる大空、ひ~か~るだい~ち・・・♪
ちゃ~んと歌も歌えます。(笑)

哀しみのヒーロー

・・・ってよく言われますよね。

内容も、まあ、<ロボットの体になってしまった人間>とか<さち子さんとの愛>とか考えると確かに<哀しい話ではある。
しかし、それ以上に哀しいことは、この作品のラストを桑田次郎本人が描けなくなってしまったことだろう。
<拳銃不法所持による逮捕>である。
最終回は<まんが・楠たかはる>として掲載された。
アシスタントが描いたから8マンの雰囲気はある程度出ている。
・・・が、やはり桑田次郎にはかなわない。

26年後・・・1990年に桑田二郎(次郎ではない!)がその幻の最終回を描いた。
・・・が、ペンタッチが全然違うし、雰囲気も全然違う・・・。
う~~~~ん。
26年の歳月の長さ、その間の桑田自身の心境の変化・・・
まあ仕方の無い事だろうけれども、残念だ。実に残念だ。

原作者の平井和正が「8マンとわたし」という文章を書いている。その中から一部抜粋してみる。
「8マン」は悲運のヒーローであり、その後も、復活を囁かれながら、いまだに再起を遂げてない。
だが、わたしは思う。桑田次郎(二郎ではなく)の描いた「8マン」は、それ自体で完璧であって、他の「8マン」の存在を許さなかったのではないか。
「8マン」はいつ見ても、完璧に美しいフォルムの持主であり、それがゆえに、いつも新しく、決して古びない。三十余年をけみした今も、「8マン」は異様に新鮮だ。

「8マン」は桑田次郎にとっては、
子供ごころで描けた、最後の作品
であったらしい。
その後、三十代に入ってからは、段々に大人の意識が働きはじめ、それと共に、自分の描くものの中の、子供ごころの気の波動も消えていった
子供ごころが消えた桑田二郎が「8マン」を描いてもそれは「8マン」ではない。
26年後に描いた最終回も、
そしてこの本に収録されている1995年に描いた8マンのカラーイラストも残念ながら「8マン」ではない。
あの深い哀しみを瞳の奥に湛えた「8マン」のまなざしを再現することは永遠に出来ないのだろう。


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