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人の目を見ることよりも、人の背景を見るコミュニケーションを心がける

こんにちは!

今日も読んでいただき、ありがとうございます。


人の目を見て会話をしなさい。

厳父慈母だった両親から、耳にタコができるくらい言われ躾けられた言葉です。

目を見ないこと、逸らすことは後ろめたさがあり誠実さに欠ける行為だと教えられてきましたが、どうしてそうなるのか、という点では深く訊いたことも教えてもらったこともなかったように思います。

そんな教育の下で育ったものだから、人の目を見るという一点においては誰よりも神経を尖らせてやり続けてきました。ある時は「目が怖い」だの「喋りにくい」だの言われましたが、自分の常識の中に『目を見ないで会話する』というものはそもそも無かったので深くは考えてきませんでした。むしろ目を見て話せない君らが失礼だよと思っていたのが正直なところです。


つい先日、友人伝で知り合った方から『軸』の話を聞く機会がありました。

その方は鍼灸氏、整体師を経験していて「人の身体」についての知識が誰よりも豊富な方でした。初対面にもかかわらず一緒に温泉に入り好きな女の好みを語るほどユーモアのある方です。

そんな彼の口から出た『軸』の話は、「目を見て話しなさい」という教育の本質を親の代わりに教えてくれるものとなったのです。


彼、ここでは仮名でA氏としましょう。A氏は軸についての説明をしてくれた後(話が逸れるので、ここではその内容については敢えて伏せます)、二人一組のペアを作らせます。私の相方は私と同じ背丈の男性となりました。

パワーが互角ほどの成人男性が対面して立って、片方が片手を正面に伸ばし、掌を広げます。もう片方は相手の目を見ながら、向けられた掌の中心を人差し指だけで押す、という指示を受けます。受ける側は倒されまいと踏ん張ることを許可されました。


最初、私は掌を伸ばして押される側に回ります。パートナーが人差し指だけで私の掌をグッと押しますが、思っていた通り人差し指が第一関節から曲がって、私を押しまかす前に痛みが伴って諦めてしまいました。A氏は分かっていたかのように、こんな説明を付け加えます。

「相手の目を見るだけでは人差し指で押すことは難しいですが、今度は相手の背景を視野に入れてみてください。壁、荷物、テーブル、窓。相手の後ろにある景色を視野に入れた状態で、相手の目を見てもう一度押してください」

教え通り、再び対峙したパートナーは私の周囲を一回り見てから視線を合わせます。そして私の掌に人差し指を立てて、さっきと同様の力でグッと押してきました。

私の体はいとも簡単に後方へ押され、3、4歩ほど後ろへ下がったのです。

客観的な書き方ですが、こう表現する他にないほど、私の意思に反して体が押し負けました。予想外の出来事に唖然です。パートナーが嘘くさい物を見るような視線で私に笑いかけてきたので、「私はサクラじゃない!」と一生懸命訴えました。

役目を変えたその5分後には、私がパートナーを嘘くさい物を見るような視線で見つめる番になりましたが。


A氏は言います。「人の目を見て話すというのは、ただそれをすることに意味があるのではなく、その人の背景を想像し理解することに意味があります。視線は合っているのに、どこを見ているのか分からない人がたまにいますが、そういう人は目を通して相手の人生の背景を見ていたりしています。これができずにただ目だけを見ている人は軸がブレているかもしれません」と。

まさに目から鱗でした。私は心の中でなるほどそうか、と手を打ち、一人何度もうなずきました。両親の教えの本質をやっと理解できたのです。いえ、もっと言うなら「意図的に体験できた」という感じでしょうか。感覚としてはあったものが可視化されて、ようやく府に落ちたのです。


私たち日本人のコミュニケーションは目を使います。「目は口ほどに物を言う」ということわざがあるくらい、「目」はその人の背景を映し出します。きっとほとんどの家庭や大人からの教育では「視線を合わせる」ということが重要視されていると思いますが。

しかし多くの人が、その本質に気づいていないかもしれません。ただ目を見て話す。もしくは目で訴える。目で圧力をかける。目で殺す。そういうネガティブな使い方を無意識にしている人がいるということです。

しかしそれをされては、相手も力を入れてしまいます。緊張した状態が続く中でコミュニケーションが円滑に回るかといえば絶対にそうはならないでしょう。意思の疎通も図れず、理想の関係性も築けず、すれ違いが生じて関係悪化につながる可能性だってあるのです。


過去に私が言われた「目が怖い」、「喋りにくい」というのは確実にこっちの在り方が間違っているだけでした。そういうエネルギーを私が相手に向けてしまっていただけのことです。今思い返せば、相手の背景を見ることなんて当時はやっていませんし、やろうとも思っていませんでしたから。

それは人差し指で相手の掌を力づくで押しているだけです。力と力のぶつかり合いをした結果、自分の指も痛いし、相手の手も痛くなる。反発し傷つけ合うコミュニケーションが良いわけはありません。

人の背景を見るコミュニケーションがどれだけ大切か、そしてどれだけ人間関係を円滑にできるのかを知った体験でした。

A氏、ありがとうございます。


今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました!



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