私が適応障害になるまで(その1)序章編

■はじめに

自己紹介記事でのスキ、ありがとうございます。

この記事を見てくださったということは、「適応障害」について少しでも関心を持って頂いているかと思います。

適応障害とは、簡単に言うと過度なストレスが原因で、感情や行動に何らかの影響がでてしまう病気のことです。そんなのは「甘え」なんじゃないか、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。事実、自分がこの病気と診断される前は、少なからずそういう感情があったように思います。

しかし、どんな人でもこの病気にかかってしまう可能性はあります。
その一つの例として、自分の体験をnoteに残していきます。
YouTubeでも語ってますが、自分の身体に異変を感じたらすぐに病院に行ってください

あとこのシリーズは愚痴多めかもしれません。
ご容赦ください。

■大学卒業後の私

とある芸大を卒業後、新卒で最初に就職したのは携帯販売の会社、正社員ではなかった。
この会社には、1年半ほど勤めることになる。

元々、人とのコミュニケーションが苦手だったのを克服するために、接客・サービス業の会社に入ったのだが、相当きつかった覚えがある。
研修もロクになく、即現場に放り込まれた。
大学上がりのペーペーがいきなりだ。

仕事を始めてすぐに体重が3kgも減った
あと、入社してからしばらく口が臭かったともいわれた。
花粉症の薬もを飲んでたし、慣れない仕事で喉はカラッカラになるし、そりゃ臭くもなる。申し訳ない。

しかし、人間というのは慣れるものである。
あれだけ苦手だった接客にも慣れ、半年もすればじわじわと売上を伸ばすこともでき、1年後にははっきりと数字に表れるぐらいに成果を出すことができた。素直にうれしかった。あと体重も元に戻った

が、当時の私は若く、青かった
成果を出しているにもかかわらず、私より先に入社したというだけで社員になっていく制度に我慢ができなかった。

私は会社を辞めた。

思えば、この行動力が今の私にあれば、このような状態にならずに済んだのかもしれない・・・・

■退職後の道

仕事辞めてから1年後ぐらい、そろそろ就職しないと貯金がなくなる、といったときに、職業訓練というものを見つけた。
職業訓練というのは、数か月間の講座を無料で受けることができ、スキルを身に着け就職をサポートするという公的な制度だ。
私はそれに通うことを決意した。

訓練はすごく楽しかった
講師の方もいい人だったし、同じ受講生も年代が近い方が多く、いい意味でお互いを罵りあいながらスキルを高めていく環境が心地よかった。
今でも何人かの人とは交流がある。

そんな訓練の数か月間はあっという間に過ぎた。
そして就職活動をすることになるのだが、スキルアップして自信がついたことは間違いないが、現実は甘くない

職業訓練で得た知識・スキルは本当に入門にしかすぎず、なかなか就職が決まらなかった。いくつか内定をもらうことはできたが、面接の翌日朝7時とかに採用の電話がかかってきたのでやめた。怖い

そうこうしているうちに3か月が経とうとしていた。
同じ訓練を受けた同期は次々に就職していく。
そして、訓練の学んだことというのは、使わないとどんどんと忘れていく。
学校で何年もかけて学習したもの・仕事で実働して得たスキルとは違うのだ。

正直、めちゃくちゃ焦っていた。

そんな折、電話がかかってきた。
そのお世話になった職業訓練を運営している会社からだった。

「まだ就職が決まってないなら、うちも求人を出しているので良かったら受けてみませんか」

本来なら飛びつくところなのだろうが、ためらった。
訓練を受講している時に、運営に凄く違和感があったからだ。
情報の伝達が遅かったり、説明が雑に感じたりしていた。

正直、かなり悩んだ。
悩んだが、就職が決まらない焦りもあった。

「ぜひ面接をお願いします」

それがこの苦しみの第一歩だった・・・・

(続きます)

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