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ノーリード感想文(失敗について考える)

アマゾンの広告メールうぜぇ…とか思いつつ眺めていたら、次の本がちょっと気になりました。

失敗の科学-失敗から学習する組織、学習できない組織  (著:マシュー・サイド)

中身を読んでから感想を書くべきなんでしょうけど、実際にこの本を手に取り、そして読むのか自体も未定なので、本のタイトルから思ったことを言いたいと思います(無茶苦茶…)

まず「日本の組織」あるあるなのかも知れないのですが、「失敗から学習する」以前に「失敗を受容する」体制(体勢?)になってないところが問題なんじゃないかと。それが第一印象かなぁ?…読んでないけど。

なので「失敗すること」について、自分なりに少し考えたことを書いてみたいな。と思います。

以前、お客様の組織に入って仕事していてたときの話です。
そこで何度か(私に限らず、誰かが)失敗に遭遇し、場合によって再発防止検討をすることがありました。
その時、原因分析で「“なぜなぜ“分析」と言うツールを利用するのですが、まず「原因を人の問題に向けていくのではなく、組織や仕組みの問題に向けていくべきだ」と仰っていたことがすごく印象に残っています。

その当時は「すげぇなぁ…」なんて思いながら参加していたのですが、それが基本なのです。仕組みでミスやエラーが防げず、人の経験や注意力に頼るようではミスやエラーは常に発生する恐れがあるのです。
しかし、それが出来ている組織と出来ていない組織がある。
事実、当時の私もそれを聞いて「すげぇなぁ…」と思っている。基本を知らなかったわけです。

酷いと「“なぜなぜ“を5回繰り返す」と言う手法ばかりに目を向けてしまい、何のための分析なのか意味不明になることがあります。
(そう言う組織は大抵5回深堀り分析するようなフォーマットが存在していることが多いです。)
このような組織は個人への追求がキツいことが多いです。
側から見てヒいたことも何度かあります。(※)
今でこそパワハラ…いや、最近言われているパワハラの一部が可愛く感じるようなものも見かけたりしましたが。

このような組織では、ミスをすることということを恐れてしまう…どんな状況でも。組織として萎縮してしまうんですね。
すると、前例に沿ったこと以外の行動をする他人の行為すら制止するようになる。前例のない行動はミスも多いですし、そういう場合において失敗してしまうと誰かに押し付けることもできなくなってしまいますからね。
どんな状況でも…例えば、チームミーティングなどでもです。
そんなの(社内のミーティングとかは)失敗する為に存在するのだから、多少は間違った発言したっていいと思うんだけど、それすらも許されない。

プロジェクト運営やお客様とのやり取りで「雲行きが悪いな、流れが停滞してるな…」と思って少しアプローチを変えてみようとすると、咎められる。
そう言う時に決まって「それで失敗したらどうする?」と言う。
…まぁ、それもわかるんですけども、失敗するタイミングとシチュエーションがある訳です。そこの考慮や判断を抜きにするのはどうなのよ?と思うワケです。

失敗を恐れるあまり、問題を先送りにして、取り返しもつかない段階で問題が爆発してダメになるなんてこと…ありませんか?
「そのまま進めて最悪のタイミングで問題が発生したとき、一番損害を受けるのは誰?それを受け入れる準備はあるか?」と自分に問いかけるのも良いかと思います。


失敗から学ぶことも大切ですが、失敗する時と場所も検討する必要があると私は考えています。そして、その為にはやはり失敗できる場所と振り返ることが重要かな?と考えています。読んでないけど。

読んだら感想変わるかもしれません。そうしたらまた書きたいなと思います。

自社ミーティングでも(今はそんなこと出来ないでしょうけど)懇親会の幹事でもも何でもいいのですが、失敗してもいい場所を作ることは大切だと思ってます。
そして失敗したら「なぜ失敗したのか」振り返ることも大切だと思ってます。
振り返ることで「失敗しちゃったな。でも、これで一つ学べたな」と切り替えるきっかけにもなると思うのです。
たかがミーティング、たかが幹事と言わずに、そんな細かい積み重ねが後に効いてくるのかな?と信じています。根拠はないけど。

ただ、練習で出来ないことは本番で出来ないと思うので。
誰かは「傷つく」って言う表現を使っていましたが、概ね似たような感覚です。

(※)ってことは…と言うツッコミは勘弁してください

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