見出し画像

戦国の歴史を勉強した意味があった。「The Legend & the Butterfly」。(ねたばれあり)

これは、恋愛映画だ。
だから、歴史映画好きの人というより、恋愛映画の好きな人にすすめたい。

でも、歴史好きの人が楽しめないかというとそんなことはない。
見ながら、歴史を勉強しておいてよかったと思った。恋愛映画だから、歴史的な出来事でも、省略されているところがたくさんある。でも昔、仕事もあって信長にまつわる歴史をたくさん勉強したおかげで、省略された部分を頭の中で補えた。ああこれは金ヶ崎退き口かな、とか。年号を覚えるのは苦手だけれど、岐阜に入城した年だけは覚えていたので、時々テロップで出てくる年号で、信長の人生のいつ頃の話なのかわかった。どういう歴史上のできごとの場面なのかわからずに戸惑うこともなく、恋愛の話に集中して見て、浸ることができた。
もちろん、歴史ファン、マニアの方々には遠く及ばない知識だけれど。もともと歴史はそんなに得意ではない。それでも十分だった。私の場合、仕事で勉強して繰り返し触れたからか、仕事だから知っていて当然というプレッシャーがあったからか、何年も前のことだけれど忘れていなかった。
勉強しておくと豊かなものの見方を得られるって、こういうことかとよくわかった。勉強する意味がわからないと言っている子に、この感覚を知ってほしい。

とはいえ、省略されているということは重要ではないということなので、知らなくても恋愛映画として楽しめるのだろうと思う。
戦いそのものの場面は、本能寺の変まで出てこなかった。合戦に行く前、終わった後の場面はあるけれど。これはかなり予算削減になるのでは、とちらりと思ったけれど、つまりはその場面は不要ということだ。恋愛映画だから。

史実と、物語。

二人が船で異国に向かう場面、このまま物語が終わればいいのにと思った。恋愛映画だから、こういうのもありかと。信長の首は見つかっていないから、全くでたらめとも言えない。でもそれはしなかった。ラストカットは、ある意味王道だった。
恋愛を中心とする物語の中でも、信長がなぜ討たれることになったのか、この作品なりの解釈や構成がきちんと述べられていた。歴史学の考え方を大切にしている感じがしたし、それを落とし込んだ脚本が見事だと思った。蛙の絡め方とか、独創的だけど嘘と言えない範囲で、わかりやすくて。
私の場合、そこに、史実がどうとか言えるほどの歴史の知識はない。もともと歴史は得意じゃないし。この映画を楽しむのに都合のいい知識レベルだった。

近年、戦国時代を描くテレビドラマや映画で、戦のない世の中にするために戰をする、というようなことを登場人物が話すことがある。この時代の人が本当にそんな風に考えていたのだろうか、現代人に共感されやすくするためにそういうことにして言わせているだけなのではないかと思うことがあった。
この映画では、信長も濃姫もそういうことは言わなかった。ただ、言葉にせずに表現されていた。濃姫はばたばた人を殺して変わっていく信長を見ているのが辛くなり、信長は何のために天下統一しようとしているのかわからなくなる。この時代としてはそういう、言語化されないけれど登場人物は感じているという方が、嘘っぽくないように感じた。制作者の意思に共感する。中国、四国攻めの途中でもう終わりにすると信長が言ったのは少し不自然な気もした。でも、どこまで制したからということではなく、やってきた時間の長さからして、もういいということだったのだろう。

木村拓哉さんが、岐阜城からの景色を見た感想として「あの二人にはもう少し生きていてほしかった」とおっしゃっていた。映画を見て、その言葉が出るのがわかる気がした。

描かれた岐阜と、今の岐阜。

濃姫の家臣として美濃から尾張へやってきた福富平太郎貞家という人は、映画を見る前は聞いた覚えがなかった。だから多分大きな役柄ではないのだろうと勝手に思っていたが、見てみたら大変に重要な役であった。実在したのかどうか両論あるというが、ネットで調べた限り、福富という名字の人物がいたことは信憑性が高く、貞家が実在してもおかしくはなさそうだ。映画の中で信長とのあれほどの信頼関係が築かれることになったのは、演じる木村拓哉さんと伊藤英明さんの関係から醸し出されるものがあったからという気もしてしまう。
福富という名字は、岐阜市福富の地名に由来するらしい。岐阜とのゆかりをはっきり感じられる人物がスクリーンを動くのが嬉しい。しかも、岐阜出身の伊藤英明さんが演じて。

そもそもこの映画を見ようと思ったのは、ぎふっことして、岐阜が重要な舞台となっている作品、岐阜を盛り上げてくれていた作品を見ておきたいと思ったからだ。かけこみで劇場公開中に見られた。
ふるさとがこれだけの歴史の舞台であるのは誇れることだなと、改めて思う。そして、他のいろいろな地名ほど古くはなくても、誰がいつつけたかはっきりわかる、まちの名前。あの時信長がつけたまちの名前を、私たちは今も毎日使っている。あの時信長が立った山の頂上に、私たちも立つことができる(そこから見える長良川の流れは、多分今とは違っていたけれど)。私たちの暮らしは、この映画で描かれていた時代と、はっきりつながっているのだ。美しい映像で、そのことを再認識する。

あと、濃姫はじめ美濃の皆様の美濃弁でも、私たちとのつながりがわかる。あんまり考えたことなかったけど、そうだよな、当時だって方言はあるよな。
そして、岐阜城の山の下の居館の建物には、発掘調査の成果が反映されているように思った。

信長と、濃姫と、自分。

綾瀬はるかさんのアクションのすごさ。最近で言えば「麒麟がくる」の川口春奈さんの濃姫もいいなと思っていたけれど、それともまた違う、綾瀬さんでなければ成り立たない濃姫だった。
映画の中で、特に若い頃の信長は、濃姫の言葉に大きな影響を受けていた。もし信長が上洛を思わなかったら、歴史は変わっていただろうな。

あと、衣装が素敵だった。
金がたくさん使ってあって、きらきらしているけれど、それがちゃんと模様に組み込まれていて、品がいい感じがする。まあ、現代の感覚でこの塩梅が素敵だと思うのであって、当時はこんなのなかっただろうなと思いつつ、こんなに素敵ならこれでいいやと見とれてしまった。

これだけの映画とコラボしていた岐阜の漫画家・石田意志雄先生。やっぱりすごい人だ。。。

人間五十年、と思えば、自分も残りわずか。
どう生きるべきか、考える。

まだ上映されている映画館もいくらかあるようです。お早めにどうぞ。
ちなみにトップの写真は、鷺山の麓から見た金華山。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?