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10年振りに、長良川鵜飼の取材、始めました。

約10年前、市の広報にいたときに「長良川鵜飼再発見」という冊子を作成した。

もともと、広報ぎふで私と師匠(先輩)とで同名の連載をしていたのだが、それを見た教育委員会の文化財担当の方(私が文化財担当だったときにご一緒していた方)が冊子作成の予算を組んでくださって、形になった。

それを2年かけてリニューアルするという話が持ち上がり、当時からいる文化財担当の方が声をかけてくださって、私もライターとして取材・執筆等に関わらせてもらえることになった。
ふるさと岐阜市活躍人財バンク」というのに以前私が登録していたので実現したらしい。登録してから特に活躍も貢献もしていなかったが、とりあえず登録しておいてよかった。

先日、5月11日、鵜飼開きの日に最初の取材。まずはご挨拶と、夜の鵜飼の取材の下見。10年前に取材していた時期以降に、川の近くでの工事があったりしたので、明るいうちに見に行った。そして安全祈願祭、観覧船新造船の進水式・命名式を取材。そして漁を近くで見て、写真を撮った。その後、初鮎献上の箱詰め作業などを取材。
12日は長良天神への初鮎献上の様子を取材。その後は関係の方々へのご挨拶や打ち合わせ。

いつも川崎で、子どもを自然に触れさせたくて、でも近くにそんな場所がなかなかなくて困っている私。
岐阜では、住んでいる人や仕事する人が行き交う道のすぐ横に、自然に触れられる素晴らしい景色があって。天気もよくてなおさら素敵で。自分の普段とのギャップにくらくらした。

安全祈願祭では、岐阜護国神社の宮司さんが祈りを捧げる。そして進水式では、新しい船に塩を盛り、お酒を注ぐ。
水の安全に関わることって、理屈で割り切れることだけで支えられているわけではない。安全のためにいろいろな手が尽くされているのだと、改めて感じた時間だった。
一年を通じてみると、他にもいろいろなことを祈る行事として、鮎供養、鵜供養、休漁の日の祭礼なども行われる。ちなみにこうした信仰に関わる行事は、基本的に市ではなく観光コンベンション協会が中心となって行われている(政教分離ということ)。

元上司が、とても偉い方になって安全祈願祭に出席していらっしゃった。お世話になった別の方は、部長さんになっていらっしゃった。他にも、たくさんの市職員の方々が鵜飼観覧船事務所の周りにいる。すれ違った方が、私を思い出して声をかけてくださる。ありがたい。
しばらくの間、全然リアルで人に会っていなかったのに。フリーランスとしてやっていこうとしながら、人脈がないことに悩んでいたのに。岐阜の2日間で、危うく名刺が売り切れそうになるほど、たくさんの人に会った。行くだけで、たくさんの人と会える場が岐阜にはあった。連れていってくださった文化財担当の方の、鵜飼への熱い思いと経験と人脈と人柄のおかげでもある。そして、過去の自分に助けられてもいる。

川原町広場

次々に人に会うので、次の取材までに一度心を落ち着かせようと、鵜飼観覧船のりばから川原町通りを歩く。夜の取材に備えて何か食べておきたかったけれど、川原町のカフェはもう閉店の時間だったりお休みだったり。パンを買って川原町広場のベンチに座った。
すると、隣のベンチにいらっしゃった、犬を連れたご婦人が。
「そのパン、どこの?」
「あ、ラスティコってお店です、そこの」
「ああそう。長良のラスティコは行ったことあるけど。そこにもあるわね」
「そうです」
「寄ってみるわね。じゃあね」
犬のリードを持って去っていくご婦人。
一人になろうとした時ですら、人とつながる。岐阜ってそういうところなんだ、すごい、と思った。川崎にいると、一人の時はずっと一人なのに。

10年前、私と師匠とで見つけ出した鵜飼の撮影スポットに、久しぶりに立ってカメラを構える。
レンズの向こうにいる鵜匠さんのうちお二人は、10年前の鵜匠さんから代替わりされた方だ。
鵜飼は生きている。日々変わる自然を相手にしているから、毎日、違う。そして年月とともに、自然も人も少しずつ変わる。そんな鵜飼の「いま」を伝えよう、と10年前にコンセプトを考えた。そしてまた、今の「いま」を追いかけ始める。

必死でシャッターを切ったけれど、久しぶりだし、そう言えばカメラも10年前と違うし、なかなか調子が上がらない。ピントがうまく合わなかったり、シャッタースピードが遅すぎたり。しかもカメラの充電もぎりぎりだった。
10年前は週5〜6日は撮影に来ていたけれど、川崎に住んでいる今はそういう訳にいかない。貴重な機会なのだ。師匠、助けて、と私は天に祈った。
写真の出来はさほどだったけれど、充電はなんとかその日の最後までもった。まだ取材初回やろ、助けを求めるのが早すぎるやろ、とぼやきながら、もしかしたら師匠が助けてくれていたのかもしれない。次はスペアの充電池を持っていきます。
師匠みたいな取材はできないかもしれないけれど、不安にもなるけれど、私にできることを精一杯。師匠が取材に燃やした炎は、私の中にまだ生きている。

他にも、書ききれていないことがたくさんたくさんありますが。
「いま」の鵜飼を伝えて、こんなに面白いんだって、もっと多くの方に興味を持っていただけることを目指して。
限られた回数かもしれないけれど、また鵜飼を見に行きます。
この数年はなかなか鵜飼を見られなかったし、わかっていないこともたくさんあると思います。これからいろいろな方に、いろいろ教えていただけたらとてもありがたいです。しっかり聞きますので、なにとぞよろしくお願いします。
岐阜でさらにいろいろな皆様にお会いできたらいいなと、楽しみにしています。


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