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私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する

”The limits of my language mean the limits of my world.” -Ludwig Wittgenstein 「私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する」- ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

いきなり引用から始まって恐縮ですが、本当にそのとおりだなと最近強く感じます。

我々は、思考するとき、言語を使っています。語彙が豊富な人ほど、思考の解像度が高く、思考が深いと感じることがあります。また、相手に自分の思考を伝えるときにも、語彙が豊富な人のほうが、きっちり言語化できます。

語彙が豊富で、言語化能力が高いと、自分の精神も安定するし、相手にも安心感を与えるんですよね。思考がまとまらならくてモヤモヤしていて、色々調べているうちに「これだ!」って思う言葉を見つけると、スッキリしますよね。また、きっちり言語化して説明してもらえると安心する一方で、逆に「うまく言えないんだけど…」という枕詞を連発し、よくわからない説明を繰り返されると、不安になりますよね。

私の身の回りで、言語化能力が高い人達の行動を見ていると、共通点があります。主には下記の3つ。

(1) とにかく本を読んでいる

これが基本ですね。人間が他の動物と決定的に違うのは、自らの体験や思考を文字にして後世に伝えるすべを持つことです。そんな素晴らしい力を持つ本を読まないなんて勿体ない。私は昔の上司によく「お前のその悩みは、人類史上初の悩みか?おそらく違う。人類の過去の経験の中に答えはあるはず。本を読まないから悩むのだ」と言われました。

(2) 外国語を1つ以上習得している

XX語で言うところのAA、という考えができると、思考の幅が広がるように感じます。ただ、ベースとなる母語がしっかりしていないと、あんまり意味はないかもしれない…。

(3) 組織の外に出ている

長い間同じ組織に所属していると、その組織でしか通じない言葉に慣れていき、それに気づきにくい、という恐ろしい事象が発生し得ます。転職するのはハードルが高いですが、社外のコミュニティに参加したり、他社の人と交流したりするのは、そこまでハードルは高くないはずです。オンラインコミュニティが増えて、他者と接触する機会が増えたのは良いことだと思います。

…自分の言語の限界を広げ、世界を広げましょう。きっと違う世界が待っているのでは。

※余談※
自分が言語化できないときに、周囲に対して、過剰な壁打ちコミュニケーションしてませんか?気をつけましょう。明らかに説明不足で相手にとりあえず伝えて、相手が「ひょっとしてAですか?」と言うと「違う!」「ひょっとしてBですか?」「そう!」…相手に言語化コストを負担させるコミュニケーションです。どうしてもモヤモヤしているときに、たまにはいいですが、普段からずっとこんな感じだと、嫌がられます…。