現代宮城風土記#17:登米市と旧自治体


登米市

宮城県北部にある自治体。読み方は『とめ』。2005年に登米郡だった迫町、登米町、南方町、東和町、中田町、豊里町、米山町、石越町と、本吉郡津山町が合併して誕生した。市の中心部は旧・迫町の佐沼地区。また、明治時代の建造物が残る一方、長沼のような自然も豊か。

登米市

迫町

1955年に佐沼町、新田村、北方村が合併して成立した。町内の佐沼は、藩政時代には「佐沼城(要害)」の城下町として発展した。伊豆沼・内沼に面していた。迫町佐沼に登米市役所が置かれている。

迫町

登米町

読み方は『とよままち』で、現在の「登米市(とめし)」と異なる。1889年に周辺の村で合併して誕生。廃藩置県の際に一時登米県や水沢県の県庁所在地となったことから、明治期の建造物が数多く残っている。

登米町

南方町

読み方『みなみかたまち』。1889年に南方村が成立し、1964年に南方町となった。町内には田園が広がっていて、奥州三十三観音の1つ「大嶽山興福寺」や「みなみかた花菖蒲の郷公園」がある。

南方町

東和町

1957年に米谷町と、1956年に四川村と錦織村が合併した日高村が合併して誕生した。この地域で行われてきた「米川の水かぶり」は国の重要無形民俗文化財、ユネスコの無形文化遺産となっている。

東和町

中田町

1956年に石森町、宝江村、上沼村、浅水村が合併して誕生した。旧・石森町は漫画家「石ノ森章太郎」出身地で彼のペンネームの由来にもなった。「石ノ森章太郎ふるさと記念館」と彼の生家が残っている。

中田町

豊里町

1889年の町村制施行で周辺2村が合併して豊里村が誕生し、1950年に豊里町になった。町内には縄文時代の遺跡や貝塚、宮城県内で二番目に古い木造建造物の山門を有する「香林寺」がある。

豊里町

米山町

1889年に周辺2村と合併して米山村が誕生し、1957年に吉田村を合併して米山町となった。町内にはヘラブナの釣り場である「平筒沼」や、新迫川と旧迫川を分岐する「山吉田水門」がある。

米山町

石越町

1889年に町村制施行で成立し、1959年に石越町となった。1995年に町おこしのために「チャチャワールドいしこし」が整備され、今でも時々CMやってる。

石越町

津山町

1889年の町村制施行で麻崎村と横山村が成立し、1906年に麻崎村が町制施行して改称して柳津町、1954年に柳津町と横山村が合併した。町内に「横山不動尊」や「柳津虚空蔵尊」がある。

津山町

おわりに

登米市としてひとかたまりになったことで、逆に個々の良いところがわかりやすくなったと思う。

更新履歴

2023年11月20日:文章を作成。

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