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オーストラリアでセミプロサッカー選手になった話#3

https://note.com/miya_pastel1/n/n64e393072296

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1チーム目がダメだったので、怪我を治しつつエージェントに他のチームを探してもらう。この間にここ数週間の疲れが爆発する。発熱と蕁麻疹、腸内環境が大崩れして、トイレに籠りがちになる。(トイレのドア壊れてるけど)料理をする気にもならないので、電子レンジでオムレツもどきを作ってパックのご飯と一緒に食べる。ふいに涙が出てくる。日本に帰りたいとは一度も思わなかったが、このままではいけないなと思う。

リハビリは家の近くにあった移民ばかり住んでいるヤバそうな団地の公園で行っていた。団地の中にゴールがあって、そこの子どもたちやマリファナを吸ってそうなドレッドヘアの兄ちゃんたちと毎日サッカーをした。うまい子も結構いる。日本の子どもたちとは動きが違って面白い。そんな日々を過ごしているうちに2チーム目の練習参加が決まる。自前のグラウンドもかなり綺麗なチームだった。歴史もかなり長いらしい。そこのリザーブ(2軍)のチームに入って、練習試合をした。そこではいい感じに活躍出来て、監督っぽいイタリア人のおっちゃんとも仲良くなれた。後日、1軍の練習に参加することになり、今回はいけるかもしれないとノリノリで家に帰る。
 
家は相変わらずの状態だった。相部屋にたまたま日本人がいたのだが、彼が中々の曲者である。挨拶をしても目を合わせてくれないし、話も全然してくれない。かと思ったら夜中に電話しだしてカジノに遊びに行く。3時くらいに帰ってきて、10時くらいに起きる。iPhoneのアラームを10分くらい止めない。全然起きないのである。その眠りの深さを分けてほしい。僕の睡眠の質は依然として悪かった。もともと睡眠は得意ではなかったが、こちらに来てからというものチームが決まらないストレスなどもあったのかどうも眠れない日々が続いていた。(オーストラリアで4回怪我をしたが、そのうちの3回は最初の一カ月にした。)
 
しかし、それでも到着した当時よりかは確実にコンディションが上がっていた。暑さにも慣れてきて、こっちのサッカーの特徴もなんとなくつかんできた。そんなこんなで1軍の練習に参加をする。監督らしき人を見つけて挨拶をする。どうもこの前のイタリア人のおっちゃんはリザーブの監督だったようだ。
 
監督に日本から来た練習生ですと告げる。監督はキョトンとしている。監督は僕のことを知らなかった。僕が練習に参加する事は一切伝わっていなかったのである。たまたまリザーブの試合に出ていたチームメイトがいたので、僕を紹介してくれて練習参加することが出来たが、その後もオーナーからの連絡が遅かったり、一向に契約の話が進まないことから、このチームはこちらから断ることにした。しかし、これもある意味実力不足の結果である。圧倒的に上手ければ迷わず契約のオファーが来たはずだ。

後日、足が痛むので病院に行くと脛を疲労骨折していた。これでまた振出し、あるいは振り出しより前からのスタートである。食と睡眠が崩れていると、何も上手くいかない。あり得ないほどちょっとしたことで怪我をする。注意散漫になることが増えて、避けられるはずのコンタクトも避けられなくなる。
 
3チーム目の練習参加が決まっていたが、焦ってもしょうがないと思い、2週間ほどお休みした。この間、仕事も何もないので貯金は減る一方である。しかし、焦ってはいけない。焦ってもいいことはない。



続く

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