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【風評被害~嬉野温泉】プラスイメージに変えるのは私~日本講演新聞

『日本講演新聞』は全国の講演会を取材した中から、
感動した~!おもしろかった~!為になった~!という心が揺るがされた話だけを掲載している全国紙です。
読んでくれた方の人生がより豊かなものになることを願って創り続け、もうじき30周年を迎えます。
台風17号が各地で猛威を振るっておりますが、8月末、猛烈な大雨で佐賀県武雄市が浸水被害に遭いました。
美人の湯で有名な嬉野温泉は武雄市の隣ですが、温泉施設のキャンセルが相次いだそうです。
このニュースを見ていたら2017年の社説を思い出しました。

ープラスイメージに変えるのは私ー

 渡部佳菜子さんが生まれ育った町はコンビニが1軒しかなく、電車は2時間に1本。どこにでもある田舎町だ。基幹産業である農業を支える後継者もなかなか育たない。そんな中、彼女の父親はいつも「農業はこれから面白くなる」と言っていた。台風できゅうりが全滅した時も「自然のことだからしょうがない。次はもっとうまくやってやる」、そう言って目を輝かせていた。

 小学生の頃の佳菜子さんはそんな父親が大好きだった。だから「大きくなったら農業をやる」とよく言っていた。そう言って両親を喜ばせていた。

 中学生の時、友だちから将来の夢を聞かれ、「農業」と答えたら笑われた。彼女の周囲にはそんな空気が流れていた。以来「農業」という言葉を口にすることはなくなった。

 高校卒業後、県立農業短期大学校に進んだ。そこで農業の未来について語り合える仲間と出会った。「やっと本当の自分を取り戻すことができた」と思った。

 友だちとドライブをしていても、「あのハウス、何を作っているんだろうね」という会話になった。覗きに行って農家さんの話を聞いたりもした。

 卒業式は2011年3月9日だった。「福島の農業を元気にしようね」と励まし合い、皆、夢に向かって飛び出した。

 その2日後、故郷の町は一変した。

 前号の社説に「私は自分の仕事が大好き大賞」のことを書いた。5人のプレゼンターが若者に向けて自分の仕事のことを語るイベントだ。佳菜子さんはその5人の中の1人だった。語ったのは震災後の家族の苦悩だった。「復興に向かう農家を一番苦しめたのは『風評』でした」と。

 彼女が住む西会津町は新潟との県境にあり、原発から120㌔以上離れている。震災後の大気中の放射線量は東京より少なかったが、怖いのはデータではなくイメージだと痛感した。きゅうりの価格は暴落し廃棄物のように扱われた。収穫寸前だったブロッコリーは検査を何度も受けているうちに腐ってしまった。「福島の農業を元気にしたい」という夢は不安と恐怖で押しつぶされそうになった。

 そんな気持ちを払拭しようと、彼女は県や町主催のイベントのイメージガールとして都会に出ていき、消費者に福島の野菜をPRした。

 あるところでこんな声が聞こえてきた。「なんで福島から来てるのかしら。福島の物を売るなんて非常識よね」

 聞こえないふりをして、明るく元気な声を出し続けたが、愛想よく振る舞えば振る舞うほど悲しくなり、やがて声が出なくなった。

 佳菜子さんは言う。「農家は野菜を作っているんじゃない。育てているんです。長い歳月をかけて土を育て、種を植え、水をやり、太陽の光をたっぷり受けられるように心を配り、自分の子どもを育てるような気持ちで育てているんです」と。そのすべてが否定されたようだった。

 そんな時、1人の女性が声を掛けてきた。「きゅうりください。福島のきゅうりっておいしいわよね」

 その言葉は真っ暗だった彼女の心に光となって差し込んできた。溢れ出る涙を拭うことも忘れ、「はい、日本一です」と言ってきゅうりを手渡した。

 佳菜子さんは気付いた。「イメージってつくり物なんだ」と。

 「福島にマイナスイメージを持つ人もいるが、そうでない人もいる。イメージはその人が勝手に心の中でつくっているだけ。だったら私が福島の野菜のイメージをつくろう」、そう思ったらワクワクが止まらなくなった。

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 それから佳菜子さんは本物のイメージガールを目指して全国の主要都市で街頭に立った。義援金の金額が世界一だった台湾にも行って福島の野菜をPRした。

 風評被害は今でもあるそうだ。それでも彼女は言う。「それをプラスイメージに変えるのは私。農業は益々面白くなる」と。
(日本講演新聞 魂の編集長 水谷もりひと 2017/11/06号社説より)

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