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始皇帝の愛読書〜帝王を支えた書物の変遷〜/鶴間和幸  読了


◉焚書令に甦った韓非の書

 人々は私(ひそ)かに学んだことをよいと考え、上の者が作り上げたものを誹りました。自分の学問によって争論し、君主よりも驕ることが名誉である。異なった意見を持つことが崇高だと、人々を多く従えては誹謗をするのです。(李斯)

 始皇14年、韓非が毒殺されてから20年も経過してふたたび韓非の書が秦で甦ってきた。韓非は弁舌で君主を惑わす学者たちについて注意喚起していた。内部から批判する勢力として学者たちが登場してきたいま、李斯は韓非の書を思い起こし読み直したに違いない。

『韓非子』の五蠹(ごと)には国に巣くうごと(五つの害虫)の一つに学者が挙げられている。始皇帝と李斯がともに韓非の書を通して共通の認識をもっていたことが、焚書令の制可に強く影響したと考えられる。

・禁書の隠匿
 前漢の魯の恭王劉餘が孔子の旧宅を壊そうとしたときに、壁の中から古文で書かれた「古文尚書」「礼記」「論語」「孝経」を得たと伝えられている。焚書令後に孔子の子孫の孔鮒が邸宅の壁に隠したものだろう。

 秦の焚書令は秦王朝が崩壊して感王朝が樹立されてもそのまま継承された。劉邦政権は秦の制度に手を加えず行なっていった。

◉始皇帝最期の書物

 臣下が皇帝に上奏するときの、「昧死言(死を昧して言う)」(死罪を覚悟して申し上げる」という形式的な常套句だが、上奏する彼らの生き方は実際にも命を懸けているところがある。
秦の国に入った、韓非、呂不韋、嫪毐、李斯、趙高たちの最期を考えると、まさにそのようなものであった。

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・最後のクライマックス40ページは一気に駆け抜けた。ネタバレになるので(今更)、この章は書くのをやめておこうと思う。感想だけに留めておきます。

・最終章といえど、筆者の探究心は色褪せることなく、書物を重ねて検証されている。『史記』をメインに置き、『趙正書』『呂氏春秋』や、過去の古典、『論語』『老子』など、あらゆる書物を精査し、文や言葉を抽出して推測されるのだ。

・始皇帝の最期は推測しかないのだと思う。Wikiや他のサイトを見ても微妙な人間関係の解釈の違いが見える。

・始皇帝の本意は、坑儒の件で意見の違いがあっても、まだ幼い胡亥より、まず長子扶蘇に継承して欲しかったのだと思う。臣下は胡亥の方が政治がしやすいと考えたのだろう。ここは李斯も判断ミスではなかったかと思われる。始皇帝は不甲斐にもその下臣の思いも熟知していたのではと考察する。

・しかし、最澄が桓武を愛していたように、李斯は始皇帝を愛していたことが伝わってきた。

・当初の始皇帝の想いを知りたかったという念願は、前書よりは叶えられたが、王、皇帝ともなると、部下の文才が長けている者が代筆しているため、生の言葉ではなく、体裁を繕ったものなのだ。

・それなら最後まで体裁を繕って欲しかった。『趙正書』にある、始皇帝の自身の病に対する悲観的な心情と李斯のやり取りは本当なのか。
王道と吏道をまっすぐ進んできた二人の会話のニュアンスに少し違和感が伴った。

・書き表される言葉というものは、なかなか本心や本音はでてこない。ましてや皇帝ともなると、そこに幾分かのズレとまではいかないが、そのようなものがあるように感じた。

・前書の『人間・始皇帝』に続き、本書の『始皇帝の愛読書〜帝王を支えた書物の変遷〜』も、面白かったです。

また次の本も鶴間博士の書籍を読もうと思っています。始皇帝を取り巻く秦時代にドはまりしている理由はなんなのでしょう。嬴政のオーラが私の興味を惹きつけてやまないです。





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