見出し画像

良い事、悪い事


人と話していたり、SNSの投稿記事を読んでいると、結構な確率で出てくる「良い事、悪い事」という二項対立。

薬による「作用、副作用」と似てると、ふと思ったのです。

この数日はよく耳にするようになり、そうなった訳は、きっと私自身が他者のその二項対立にしてしまう判断基準が気になっているからだと感じる。

・良い悪いの境界線がはっきりしている。
・自身の直観的な感情による作用。
・相対的、常識的な見解。

判断基準には、主に上記が挙げられる。

善悪が自身の中で相殺され、感情もない、感情移入出来ない私にとって、一つの物事を判断する際、他者や周りの、感情を入れながら一喜一憂している姿がとても不思議に見えるのだ。

私自身は、何故、良い(善い)のか、何故、悪いのか、理解出来なくなっていて、治外法権の場所に居るのかもと危惧してみたりもする。

何故、一つの現象に対して、どちらかに偏った見方が出来るのか。今は、状況が悪くても時間的経過により良くなって来る場合も考えられるし(逆も然り)、その時の感情で、どちらかの思いの見解によって、正しさや判断が鈍ると思われるのです。

薬を服用した時、人間にとって都合良く患部に効く場合を「作用」と言い、都合が悪い場合を「副作用」という。
そう言った身勝手な解釈も好きではなく、私はどちらも「作用」だと思うのです。

人間の生活の中で、「良い事」って何ですかね。「悪い事」って何でしょうか。


「良い事」の裏にはきっと、悪い事が隠れており、「悪い事」の裏にはきっと、良い事が隠れていると思います。

それを見つけ出せると、諸法(すべての現象)は「空」となり、自身のそれを見つけ相殺し、無為・無願(想いを創ることも、無いものを願い、また、求めることもなくなる)となれば、解脱者となれるでしょう。

私自身は、その一喜一憂しなければならないモノや、欲求したりするモノを持っていないので、他者のその持ちモノが気になって仕方がないのです。それによる苦悩・苦痛が入って来たりもするので、近くにいて欲しくないのです。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?