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吽字義を理解する


 サルトルの『嘔吐』を読んでいるのだけど、実は何ヶ月か前からか空海の「吽字義」が頭の片隅にあり、気になっていた。本を読んでいても、それがチラつくため、先にやっつけようと思ったのだった。

そしてkindleで吽字義を調べると、あった!
unlimitedに入っていて良かった!と喜んでいたが、


↓期間限定キャンペーンらしい

国会図書館コレクションでレンタル


ページをめくると、

隷書と楷書の混合のような字体が
美しく、読みやすいが読めない


おお!きっと本物(原本?)だ!
国会図書館コレクションとはなんぞや?
と思いつつ、

赤ペンはなんだろう


しかし読みづらい。。

専門用語もたくさんあるぞ!
(なにが専門用語かもわからないレベル)

そして、日本人の私は助詞がなければ文章理解が出来ない。でも空海は日本人だよな。。などと思いながら、吽字義の概念だけでいいから、この際、最近課金を催促されるWikiでいいと、も一度ググる。

ブラウザでググったのだけど、noteにわかりやすく吽字義の説明がかいてありそうな記事を見つける。うん、それでいい、そうしようと、



ポチッと開いてみたら、way_finding氏の投稿記事ではないか。。(結構驚きました)。。最近よくシンクロさせていただいてます。

wayさんは何年も前から、項の因果や神話を紐解いていらしたのだと、改めて、素晴らしい!と感動しながら、wayさんの記事で「吽字義」を勉強させていただくことにした。

ここから先はway氏の記事の中で私が知りたい箇所を自分が都合良くピックアップさせていただいただけの内容になります。「吽字義」の詳細をわかりやすく、ダイナミックに説明されていますので、上記の氏の記事に飛んでいただいた方が良いかと思われます。若しくは難易度を上げて漢文をKindleで読むか…


『吽字義』

字相を解すとはまた四に分かつ、四字分離の故に金剛頂にこの一字を釈するに四字の義を具す。

空海 「吽字義」

「吽」字を「字相」と「字義」に分けて、四つの字を分けて見てみよう、意味を与えてみようということのようだ。

その四字は、「賀(詞)」「阿」「汙」「麽」

そして…
「字相」編

「賀」
賀字の義とは中央本尊の体、是その字なり、これ因の義なり。

空海 「吽字義」

どうやら、賀とは、因になるための大元の意味をしているようだ。
way氏の説明では、ある・ない、諸存在が発生する以前、分かれた二つ以上のものを選ぶとか、分別する知性以前に、それらを可能にする「因」である。と書かれていた。

ということは、セムニー(セムが発生する所、心)かなとイメージした。

「阿」
阿字の義とは賀字の中に阿の声あり、即ち是れ、一切字の母、一才声の体、一切実相の源なり。
凡そ最初に口を開くの音に皆阿の声有り。もし阿の声を離れぬれば則ち、一才の言説無し。故に衆声の母とすもし、阿字を見れば則ち諸法の空無を知る。

空海 「吽字義」

阿は何かが産まれるところのようだ。口を開いて声を出したり実相になる項を発生させるところ、空無を“知る”ところ、それは顕在意識にあたるのではと思う。

「汙」
汙字は是れ、一切諸法損減の義なり。もし汙字を見れば則ち一切の法の無常、苦・空・無我を知る。

空海 「吽字義」

諸法が「損減」するのが汙のようだ。
法界にあるものがなくなる苦しみ、変化、空無、我が無いことも知るようである。

汙字にたくさんの意味を詰め込んでいるように思うが、所謂エントロピーの減少のことを指しているのでは。

「麽」
此には翻じて我とす。我に二種あり。一には*人我、二には*法我。もし麽字門を見れば則ち一切の諸法に我・人・衆生等有りと知る。これを増益と名づく。これ則ち字相なり。

空海 「吽字義」

*人我:人間における固定的実体
法我:あらゆる存在するものの固定的実体

「麽」は諸法が増益し、「汙」がエントロピー減少ならば、こちらはエントロピー増大と言ったところ。一切の諸法の有、則ち私たちが見ている、存在の全てを麽と表すのだろう。

w:この賀・阿・汙・麽の四項関係は意味するということを可能にする四項関係の文節。発生そのものを四項関係となすシンボル。
また、意味するという「心(十住心論の“心”」である。密教の第十住心、大日如来が自分自身のための説法をするもの。

「字義」編

二に字義を解するに四有り、詞・阿・汙・麽の四字の差別(しゃべつ)の故に。

空海 「吽字義」

因もまた是れ法界、縁もまた是れ法界、因縁所生の法もまた是れ法界なり。詞字は無因待を以て諸法の因とす。

阿字門一切諸法本不生
詞字門一切諸法因不可得

詞字には三つの実義がある。
1.不増不滅
2.空(無自性)
3.存在すること

w;字義において二項対立関係を二項関係である意味の最小構成単位としての四項関係を区切り出すに文節化する動き自体が「大日如来」である。

汙字の字義「一切諸法損減不可得」

一心の虚空は本より来(このかた)常住にして不損不滅

三密の虚空は損も無く滅も無し

汙字の字義は如来の法身。


麽字の字義「一切諸法呉我不可得」

自我となる固有の実体は不可得である。

w:実体化した項は良いとか悪いとか、上とか下とか対立関係にある二項のペアの一方の項とくっ付いては他方の項と反発し合うという動きをする。
字義を意味するということの発生そのものをあえて言語で記述してみようとする言葉においてはこの項の固着・実体化は回避しなければならない。深層の不可得・本不生の四項は文節の動きを止め、発生してしまった関係を解除する四つの両義的媒介項からなる関係である。

大日如来の説法の言葉は、意味文節理論・神話論理とは別のものだが、項の実体化固着ということを回避しようとするところで、両者は急接近する。そしてその邂逅は「心」、十住心論の心である。

この二重になった四項関係の記述、ダイナミックな意味の心の発生装置が「吽」字なのである。

あとがき

自分がわかれば十分なので、記事において省略させてもらった部分が多いが、私としては吽字義については理解が出来た。

仏教特有の文字に意味を詰め込む、意味を漢字に当てはめ、シンボルとしている、吽字義。(仏教は像がお好き)

吽字義には四つの漢字、八つのシンボルがある。

字相;賀・阿・汙・麽
字義;詞・阿・汙・麽

表層と深層、それぞれの自我の中の心の動きを表そうということだ。

仏教教学にするとやけに重々しく感じる。この付加価値が私は嫌いだ。言語内在させてしまい、言葉だけの理解に終わり、體現するまでに至らない場合が多いと感じる。そして全ての学問という壁も然り。

例えば「大日如来」という重々しい言葉。
これは、人間が感覚する内側から発生したそれであり、「ムムムッ」と湧いてくる想いのようなもの。

この「ムムムッ」は色んな「ムムム」がある。
その「ムムム」は何か?と紐解けばいいのだ。

「薬師如来」という言葉など必要なく、「ムムムッ、イタいぞ」と感覚したら、自らの止観において、それを追求することで身体の苦の原因がわかる。
そうして、「金剛頂」とは、一日に何千と湧く全ての「ムムム」、その自分の想いは何か対自することで、「有」を日々滅していくと、結果的に残るものがあり、それで自らが何かさえ知ることができる。(所持するものが多くて重いほど苦痛は伴うけど…)

学問は嫌いだ。
自立性を失わせる元である。

学問は嫌いだが、ここでは空海とway_finding氏、また、哲学者や思想家などの識者の思考や、他者独自の考えを知ることはとても面白く好きなのです。

wayさん、またまた、貴重な資料の提示と考察を参考にさせてもらいました。ありがとうございます!十住心論もまた気になっているので見させていただきたいと思います。


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