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小さい頃のアパートの記憶

 昭和30年代の話。私は、東京都豊島区東池袋にいた。小さい台所と四畳半一間のアパートに4人家族で住んでいた。トイレは共同、風呂はなし、井戸水を引いた共同の洗濯場があり、二階建てアパートの屋根の上に共同の洗濯物干し場があった。幼稚園に上がる前の私は母が洗濯物を干している間、ここでぼーっと雲を眺めるのが好きだった。アパートは三棟からなり全部で20世帯ぐらいいたと思う。このアパートには広い台所と2間続きの和室がついている管理人室があり、鈴木さんという管理人のご夫婦が住んでいた。母は管理人の仕事を手伝ってお金を得ていたようで、特に奥さんと非常に仲がよかった。週に1度銭湯に行くときも母と管理人の奥さんが一緒だった記憶がある。鈴木さんの奥さんには胸におそらく乳がんの手術跡と思われる大きな傷跡があり、乳が片方なかった。私はつい単純な好奇心で、「どうしておばさんは胸が片っぽないの?」としつこく聞いてしまい、鈴木さんの奥さんが悲しそうに「神様のバチが当たったんだよ」答えたのを覚えている。
一方鈴木さんのご主人の方は、昼間はほとんど見かけたことがなく、管理人の仕事はもっぱら奥さんまかせのようだったが、印象に残っている出来事が一つある。
 あの頃私は、母と一緒に管理人室に行った時に奥の和室の箪笥の上におそらく紙芝居とおもわれるものが大量に山積みになっているのが気になっていた。
ある日のこと鈴木さんのご主人が、管理人室から紙芝居の束をもってきて、アパートのゴミ捨て場に運んでいた。何度も管理人室とゴミ捨て場を往復するおじさんの姿をずーと目の前で見ていたので「おじさん捨てちゃうの?」と声をかけると「いいんだよ」と一言だけ言って、せっせと運び続けていた。紙芝居の束はしばらくゴミ捨て場に置きっぱなしになっていたので、こっそりちょっとだけ持って帰って中身を見たいと思ったりしたが、それはいけないことだと我慢した。
後年、加太こうじさんの文章の中に紙芝居の製作所を経営していたという鈴木さんの話を見つけ、鈴木さんのご主人が黄金バットや墓場鬼太郎の生みの親らしいと知り、さてはあのゴミ捨て場に捨ててあったのは、黄金バットの紙芝居だったかもと思うとあの時おじさんに私にちょうだいって言えばよかったのにと後悔した。
私が知る鈴木さんのご主人は、晩年、よく酔っ払ってふらふらとアパートの廊下を歩いていた。また、転倒して救急車で運ばれるということを何度も繰り返していた。亡くなったのは、私たち一家がアパートから引っ越した後のこと。危篤の連絡を受けた母が家をでた直後「おじさん、死んじゃったよ」という電話を受けたのは私でした。ひとづてに葬式に加太こうじさんが来たと聞きました。


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