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もったいないケーキと神頼み

 先日、病院の帰りにお気に入りのケーキ屋さんに寄った。店内のショーケース上段の右端には、既に箱に入ったケーキが並んでいる。どんなケーキが入っているのかは、箱を開けてからのお楽しみ。消費期限間近のケーキを廃棄せずに、箱に詰めて「もったいないケーキ」とネーミングして半額で売られている。消費・賞味期限には挑んでいくタイプ(止めなさい…)なので気にならないし、最近の物価高でケーキを楽しむ機会も減っているので素直に嬉しい。今回は2個入り900円→450円を買って家路に着いた。

 こうして病院の帰りにケーキを買って帰る楽しみを持ったのは、今から5年程前に婦人系の病気になり、入院、手術を経て定期検診を受けるようになってからだ。マザーキラーの異名をもつ病気は、娘が小学生の時に見つかった。幸い早期発見で再発も無く今に至っている。以前は手術を受けた総合病院で検診を受けていたが、1年前に自宅から近い病院への転院を許可された。そして、今は信頼出来る先生の居る、娘を出産したクリニックに通院している。妊婦の頃、待合室で通院している年配の女性を見かけることがあったが、今度は逆の立場になった。以前は他人事だと思っていた事が私事になる惨めさというのか、愚かさというのか、複雑な気持ちになり、他人事など無いことが身に沁みた。

 複雑な気持ちといえば、手術後の病理検査の時もそうだった。結果が出るまで転移がないか悶々としていた。『どーか何事もありませんように!』と、ここぞとばかりに神頼みした。しかし、臆病な私は何事かあった時の事も考えてしまう。四六時中これだけ真剣に念じて叶わなかった時のショックはどれ程のものだろう。落胆どころか怒りを覚え『こんなに願ったのに…』と御門違いに神様まで恨みかねないと思った。そこで私は、ショックを軽減するためにも『もちろん無事を祈るけど、結果、良くても悪くてもどちらでも構わない。』と神様に丸投げすることにした。不思議だけど、この消極的な神頼みは気持ちを楽にしてくれた。殊更に結果を気にすることも無くなり、不安も持続性を持たなくなった。そして、こう思えるのも今現在、生死に関わる状況でないことが大きいのだろう。そのことにも感謝の気持ちが湧いた。

 今回もそんな気持ちで検診を受けて、帰りにケーキを買って帰った。病院は行くだけでも本当に疲れる。そして、それを癒してくれるのは甘い物に決まっている。中でも、ケーキは特別な存在だ。何しろ、その姿を見ているだけでも癒される。自宅に戻り、持ち帰った白い簡素な箱を開けると、中には王道のイチゴショートとチョコレートケーキが鎮座していた。この時期のイチゴショートは主役に違いない。『私を見て下さい』と言わんばかりに、艶やかな旬のイチゴはひときわ存在感を増しているし、上向きのツンとしたクリームもいつになく上向きだ。私はイチゴショートをお気に入りの古いFiggjoの皿にのせて、コーヒーと共にテーブルに置く。そして、ソファに飛び込むようにドンッ!と腰を下ろすと、あとはケーキとコーヒーを楽しむだけ。この瞬間の開放感といったら…。

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