こころ
心理学的なアプローチから自分研究をしてた時まで書いてきましたが
思うように症状が軽くならなかった私は行き詰まって、
とにかくストレスから自分を解放しようと躍起になっていました。
“心“ とは不思議なもので
“身体” の状態と密接で
“身体” が弱っていると “心” も弱ってきます。
逆に、”心” が弱ってても ”身体” が元氣だと
“身体” を動かしてるうちに “心” が前向きになったりします。
その時の私は、病状に引っ張られて “心” も “身体” も弱っていました。
ストレスって何?
嫌だなって思うことを減らしていくのには限界がある、って
途方にくれていました。
一人で生きているわけではないし、
社会との関わりを持たないと生きていけないですから。
この時の私は精神疾患だから精神的ストレスだけ減らせばいいと
考えてたことも行き詰まってしまってた原因だったな、と思います。
ある切っ掛けで、形而上学に触れ
それを切っ掛けに根本的なことに氣付きました。
私は “心” と “感情” は同じものだと思ってました。
だから、”感情” が激しく動くのは
私の “本心” が表面に出てきたんだと思ってました。
なので、“氣持ち” を抑え込んで周りに合わせていた私が
何かの切っ掛けで溢れてきた “感情” を
自分の “本心” だと思い、その “感情” に対して嫌悪したり
振り回されて自分も相手も傷付けたりしてしまったことがあります。
そんな自分に対して嫌悪感が増すばかりで
自分自身に対して信頼することも愛することも出来ませんでした。
“感情” は確かに “本心” と繋がっているけれど
表面化している状態どおりが “本心” ではなかったりします。
“感情” はリトマス試験紙のように
“本心” からの声に氣付くように反応している状態です。
例えば、相手の言動に怒りが湧いた時、
その “怒り” は、
前後のシチュエーションから過去を連想させていたり
ある言葉に過剰に反応していたり
何故こんなにムカつくんだろうって改めて深く掘っていくと
“悲しい” とか “大切にされたい” とか
“怒り” を作っている根っこの “感情” にたどり着きます。
これが “本心” で、ここをケアしてあげないと
“心” が元氣にならないんですよね。
表面の “感情” だけに対処していても
本当に欲しいものは違うので同じことを繰り返してしまいます。
心理学的なアプローチはいわば対処療法に近いと思います。
形而上学からのアプローチは根本的な問題点に氣付かせてくれるので
どんどん生きることが楽になっていきました。
結果、精神疾患の寛解へ辿り着くことが出来たと思っています。
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