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マルティン・ルター『95か条の論題』

#西野亮廣エンタメ研究所
#西野みー
#藤桜ひろみ

世界史ですら習ったかどうか忘れてしまった【マルティン・ルター】。宗教改革の観点から、社会の仕組みの改訂や、民のより豊かな幸せへと着目した、その想いを記す【95か条の論題】について、“現代語に寄せて”、翻訳した。

かつて、人生を燃やし、社会のなかで叫び続けたルターの人柄が、見えるかも?



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マルティン・ルター

【95か条の論題】
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(1)神は、ひとに、全生涯における、反省と、悔い改める素直な心を、お求めになった。

(2)キリストの教えを具現化する儀式については、ルールとしてではなく、心からの愛をもって、自燃性をもち、行動しなさい

(3)聞く、聴く、わかる、理解する、行動できる、教えられる、行動させられる。には違いがある。口動ではなく、行動しましょう。

(4)魂による自己成長・挽回を終え
天国に入れるまで、修行は続くものだ

(5)教皇だからといって
その修行を特別に逃れることはできない


(6)ただし、状況によっては、神のしきたりにより、教皇が断罪から開放される場合はある。その場合以外は、例外はないとする。

(7)神はわりかし寛容なので、代理人である司祭に従い素直に行動していれば、むげに断罪することはない

(8)心から、死ぬほど努力して自己変化に努める者に、重く断罪や苦行の圧力を置くことは、よろしくない。

(9)神を囲う精霊が、ヒトのなかで代表して、教皇を用いて、『正しき』を行わせている


(10)死ぬほど努力している人間に対し、煉󠄁獄(死んでから天国に入るまでにはドレスコードがあるので罪を挽回せよ)においての修行を与えることは、司祭の罪とする



(11)協会法を悪用し、煉󠄁獄の定めによる断罪だと理不尽な定義をして、ヒトを裁くことは、協会の教え(麦畑)に毒をまき散らすようなもの

(12)司祭以上の役職持ちには、一定以上の悔い改めが成されれば釈放されるルールがあったが、

協会法による断罪(償い)は、そのルールが発動するよりも、前に、役職によらず一定の悔い改めは行うべきであるという、規定であった

(13)死を選んだ人間は、死ぬことにより悔い改めの代価とするため、協会法は作用しない

(14)死が決まっている人間は、魂が、未熟であることは、わかりきっているのであり、その魂の在り方では、必ずや、大きな恐れを抱いていることだろう

(15)彼らにとって、その恐怖心こそ、煉󠄁獄における修行に、代わるほどの、悔い改めの時間となるだろう



(16)地獄・煉󠄁獄・天国の、違いは、魂の在り方の基準値によって、与え分けられる、“救い”の種類や量の違いである

(17)煉󠄁獄にある魂にとって、自分を省みて、自己鍛錬した量により、対価として、愛が与えられる

(18)天国に入れるようになるまでの、煉󠄁獄での修行が与えられた魂にとって、愛や賞賛が与えられてはならないというルールは、聖書に記されていない

(19)煉󠄁獄にある魂が、自分に与えられるであろう愛や賞賛にアグラをかいて、ナメ腐っているという証拠は、存在しない

(20)なので、教皇サンがよ、『余がそなたたちの罪を赦そう!』とか言っちゃっても、教皇サンの軽口に過ぎないわけよ🤚



(21)教皇が、神自身かのように、『きみたちは救われる・・・!』と唱える御高説は、間違ってるってコト

(22)教皇は、煉󠄁獄にある魂に対しても、『おれが赦したるわ』は通用しない

(23)仮に、“すべての罪を無かったことにしちゃる”が通用するとしたら、ものすごく、少ない、ほんの一部の完璧なひとだけだ

(24)大部分のひとは、“罰の免除”について、けじめなく欺かれたことになる。これでは、魂は洗われない。

(25)教皇が、煉󠄁獄に対して、活用できる権限は、司教や主任司祭と、同格である



(26)教皇は、神のことばを、受けて、のみ、魂に赦しを与えることができる

(27)協会は、“罪が贖われるための免罪符”を販売し、賽銭代わりなどとし、民衆を先導しているが

その賽銭の音が、煉󠄁獄にある魂にまで影響を及ぼすなどと口走ること自体が、

神の言葉ではなく
人間のエゴである。


(28)賽銭を掻き集める活動は、利得と貪欲は増すだけであり、協会がやるべき活動ではない

(29)煉󠄁獄にある魂の全員が、無罪放免などを願っている、保証はない

#クラウドファンディングで煉󠄁獄にいる魂たちを無罪放免にして救ってやろうぜ!てリターンを出したってこと?笑

(30)痛悔(イタコさんから神の言葉を聴いて、神への敬愛から悔い改める)に、筋が通っているか、完全赦免を得たかどうか、すら、人間などに、神の意志を推察するなど、不可能



(31)真に、悔い改める者が稀であるように(あんたらみたいにね)、心から“免罪符”を買う者も、稀だ

#ルターすごいこと言う

(32)“免罪符”を買うことで責任逃れできると信じちゃってるアンタラなんか、一生死んでも永遠に罪人扱いだろーねっ!
#ルター・・・

(33)教皇サンがやってるくだらない活動を、人間と神をマブダチだのパイセンだの扱いにして、馴れ馴れしくも、カワイイ人間ちゃんたちだから譲歩されてる気になっていること自体が、人間性やべーから、警戒しとけ

#ルターくん.....

(34)あんな“免罪符”、人間が勝手に決めただけでしょ

(35)魂を煉󠄁獄から救い出すためだとかのクラファンや、告解(キリスト教におけるイタコ)を受けた証明証を所有したがる者たちに、

責任逃れの先導をする者たちは、キリスト教に、反している


(36)本当に、ちゃんと反省して、自己成長して、魂を洗った人間ならば、“免罪符”なんか、買わなくたって、神から、完全赦免、してもらえるはずじゃんっ!
#ルターくん確かにね

(37)本当に、キリスト教が大好きだっていうなら、在り方がちゃんとしてるんだから、

生死に関わらず、神から、愛や恩恵を、賜れるはずじゃんっ!
#ルターくん確かにね・・・

(38)あ、でも、教皇という役職自体は、大切な役まわりであって、まともな人間がお役目を担っているかどうかという点が課題点なわけだから

教皇という役職が、神のことづてを担っていること自体は、忘れてはならないとは、思います。
#ルター真面目

(39)どんなに優秀な神学者であってもさ、我々人間の悔い改めや、魂の浄化レベルと、

それに対して、神がいかに愛や賞賛を与えてくださるかの、想いを量ることなんて

人間同士だって難しいってのに、敬愛なる神だもん。もっと難しいに決まってるもんっ。#ルターかわいい...


(40)痛悔の儀式は、自らを律するために、罰を受け入れ、求めるものであるが

“免罪符”などというユルい仕組みは、真逆ですよね。


(41)確かに、聖書には
使徒に金銭を支払うことで、精霊を遣わせてくださるようにお願いするくだりはあるけれども

“免罪符”は、ちがうじゃん。
混同すべきでない

(42)“免罪符”を買うことを、神による憐れみだの愛にまつわるものであると誤認識させるような先導は、慎むべきだ。

“教皇”とは、役職であり、在り方の象徴であるのだから。“教皇のことばでは無い”と定義できる。
#理論派

(43)“免罪符”。
そんなことに、お金を使うくらいなら

貧しいひとたちに寄付したり、貸し出したりしたほうが、善い、魂ある、愛に満ちた活動です。
#ルター西野

(44)なにごとも
愛により、魂は磨かれ、愛は成長するのだ

“免罪符”なんて、人間を堕落させるだです。つまり、社会性基準値も、下がってしまうってこと

(45)貧しいひとたちがいるのに、彼らは、無視して、“免罪符”なんかにお金を使ってしまう。

教皇にコビを売るどころか
神から嫌われるよ



(46)有り余るほどのお金持ちが、貧しいひとたちに、手を伸ばしたうえで

かつ、教皇にコビを売るために、少々の出資をするのであれば、まだ理解を持てます。


(47)“免罪符”の形を持った、お布施を、人々に強要することは、よろしくありません。

お布施は
義務ではないからです。

#協会こわい


(48)贖宥とは、赦しをこうことではあるが

役職においての“教皇”は、『いくら納めたか』ではなく、心から、祈り、悔い改め、魂を豊かにすることを、望んでいるものなのだ。
#在り方

(49)教皇が、己の罪の軽減を望むなど、本来、在るべき姿ではなく、人々がその姿をみて先導されなければ、まだマシにしろ、

間違えた在り方により、民の、神への敬意や畏怖が、軽んじられるのであれば、

冒涜である。


(50)もしも、教皇が、“免罪符”を買うことを強要する先導者たちによる、民への取り立てを知っていたのであれば

まことの教皇であるならば

聖ペテロ聖堂ごと
燃やし尽くすであろう。
#そんなもんオオモトから消えてしまえっ





つづく👉

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