ADHDにとって、この時代は情報伝達が速すぎるのかもしれない。
医師の先生に
「情報の処理が苦手なADHDにとって、この情報化社会は生き辛い」
と言われ、確かにそうかもしれない、と思った。
スケールのデカい話をするわけじゃないが、人類の数千年の歴史の中で、インターネットが使えるようになったのはせいぜいこの20年ちょっとくらいの極めて直近の出来事で、
俺の記憶では、個人で普通にメールアドレスを持つようになったのは90年代の終わり頃だったと思うし、
リアルタイムにチャットなんかで連絡し合うようになったのもその頃からだと思う。まずはパソコン持っている人限定でね。
ポケベルだって最初は数字しか送れなかったし、PHSだって、テキストメッセージは字数制限のあるカタカナオンリーだったけど、それでもとんでもない進化だと俺は思った。
それまで、人と人のコミュニケーションなんて、面と向かって会っている時くらいだったから、
たとえば「付き合っている高校生の彼氏彼女」みたいな関係でも、せいぜい登下校の限られた時間に会話をする程度のコミュニケーション量だったし、
メールを使う前は、「文章」でやり取りをするなんて、遠距離恋愛で手紙を送り合うくらいのもんだったから、それこそ週に1往復が精一杯。
それに比べて今は、別々の場所にいたって、有無を言わさずLINEは飛んでくるし、既読マークだって付くからあんまりゆっくり返信するわけにもいかない。最近に至ってはWeb会議だって当たり前だし、常に「つながっている」ことを求められる、かなり窮屈な時代だ。
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インターネットが使えるようになる前は、恋愛だって、ゆっくりと時間をかけてお互いのことを知っていって、
いろいろあって別れるまでだって、ゆっくり時間をかけて、
一つの恋愛が始まって終わるまで、1年位は当たり前に掛かったものだけど、
インターネットが使えるようになった途端に、あっという間にお互いの距離が縮まって、光のスピードでお互いのことを知り合って、
2ヶ月位で「恋愛の一部始終」が終わったりなんかして、コミュニケーションのスピードが恋愛のあり方さえも変えたと、1990年代の終わりに実感したのを覚えている。
仕事においてもそう。仕事でメールを使うようになったのはプライベートよりも少し後だったし、仕事で携帯を持つまでは固定電話と公衆電話で連絡して、FAX全盛期の時代だったから、今よりもずっとずっと、仕事のスピードはゆっくりしていた。
なんというか、今の時代の仕事って「常につながっている」もんだから「言い訳ができない」環境なんじゃないかな、と思う。
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もちろんインターネットが使えるようになる前は、今思えば不便なことがいっぱいあったし、以前の生活に戻りたいかといえば、そうでもない。
そして、もともと「ADHD」という病気(症状)自体は昔からあったのかもしれないけど、現代においては特に生き辛いから、病名が明確に定義されて社会問題化したのではないかと思う。
・・・調べたいことは何でも、目の前のPCやスマホで即座に検索できる。
・・・誰かからのメッセージは、こちらが望む望まないに関わらず、手元のデバイスに送りつけられてくる。
「情報過多のこの時代に、ADHDが生き辛い」という医師の先生の指摘は正しいと思うし、それじゃあ俺たちはどうやって生きていくのが良いのか。
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PCだって、CPUをフルに動かすと、あっという間に100℃近い温度になってしまう。PCをぶっ壊さないで大事に使うには、CPUをせいぜい90%くらいの稼働率に抑えて、身の丈にあった作業をするべきだ。
俺たちADHDは、情報の取捨選択が恐ろしく下手だし、雑音も1個1個きちんと気になってしまうから、CPUもメモリも不足がちだ。
そんな中で、仕事でも人間関係でも、コミュニケーション過多だとすぐに限界が来てしまうから、自分の身の丈にあった環境に自分を置くべきなのではないかと思う。
「食っていくためには、今の仕事を頑張らなきゃいけないんだ」という思いを捨てて、働き方や生活そのものから自分を見直すと、俺の場合は随分とマシになった。人によっては「人間関係」を見直すことで解決する場合もあるだろう。
・・・偉そうに言うわけじゃなく、これは自分自身への戒めだ。ちゃんとこうやってアウトプットして、自分に念を押さないと、俺の場合すぐに忘れてまたムキになりそうだ。
自分の脳のスペックと限界、そして、自分が人生の何を重要視しているのか、
そこを忘れずに、自分の人生を大事に生きていこうと思う。
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