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東大落城と日本の衰退

佐々淳行氏の「安田講堂攻防七十二時間 東大落城」を読んだ。
その最中、東大卒の議員の問題が多く報道される。
今の日本の衰退がすでに始まっていたと感じた。
私がこの本を読んで感じた共産主義と今の日本についてまとめてみた。

共産主義者たちへの疑問

私の子供の頃の記憶。
80年代から90年代の年末の特番はあさま山荘事件か忠臣蔵が定番だった。
昔はテレビはつけっぱなしにしていたので、なんとなく見ていた。
そこで疑問が湧いてくる。
「この人たち、反戦なんだよね?
 なのにテロしたり、仲間に暴力振るうの?
 何がしたかったの?」
と母に聞いた。
「さぁ。言動と行動が矛盾してるから、今は活動が下火になってるんでしょ。」

学生たちは何と戦っていたか

学生運動の背景には大学側の腐敗があった。
東大の医学部生の研修医時代の待遇が悪すぎる、
ということが学生運動が大きくなった要因の一つだったようだ。

大学側が医学部の卒業試験を実施することにする。
そのことを納得できない学生側は大学側に話し合いを要求する。
その時の動画をYouTubeで見た。
学生側の代表がこんなことがいう。
「先生が試験をすることを決めたから、運動を抜ける学生が出てきた。
そんなことをするから仲間割れしてしまった。」
と主張している。

自分で問題を解決をしたことがないのだろうか。
敷かれたレールをなんの不満もなく進んできたのだろう。
そして壁にぶつかった。
自分の思っている世界でない。
でも、解決する方法がわからない。
だから、暴力を使って解決しようとしたのではないか。

毒親育ちの私は加藤諦三先生に救われた。
先生の本を泣きながら読んだ。
突然、私の長年の疑問を解いてくれる。
「学生運動に参加した学生が本来戦うべきは親。」

親との代理戦争っだった。
支配的な親に逆らうのは子供にとっては恐ろしい。
多くの子供は親と戦えない。
親と戦うのは怖い、だから敵を大きくして仲間を作る。
「権力」と戦う自分を正当化する。
でも、戦うべき相手が違うから問題は解決されないまま。
だから、第三者の私たちには何もわからない。

偏差値が高いだけの「からっぼの日本人」

自民党の国会議員の問題が話題になっている。
木原誠二氏は愛人問題から始まり、奥さんの元旦那さんの不審死事件、
そしてデリヘルの問題まで。

松川るい氏は女性局のフランス研修旅行。

この人たちはなんのために勉強をしてきたのだろうと思う。

田舎のヤンキーが結婚が早いと言われる。
なぜかといえば、田舎に遊ぶ場所がない。
そしてもう一つ、家庭環境によって知的好奇心を育てる環境にない。

では、木原氏や松川氏はどうだろうか。
裕福な家庭で育ち、学びの多い都会で育っている。
知的好奇心を育てるには十分な環境だ。

私にはヤンキーと変わらないと思う。
たくさんの女性と関係を持つこと、性的欲求を満たすこと。
「自民党の女性議員になったら、私たちみたいにキラキラできますよ!」
みたいな間違った発信をしてしまう。
他に人生を満たす方法を見つけてこなかったのだろうか。

おかしな発言をする議員が報道されると思うことがよくある。
「高熱隧道でも読め!」と。
黒部ダムを作るための難工事の人間模様を描いた作品だ。
この作品を読めば、いろいろな立場の人間の思いを理解できると思ったからだ。
でも、わからないのだろう。
偏差値という文章を読む技術では。

「総括」してみる

マスコミ関係者に学生運動に熱心だった人が多いという。
その人たちからしたら、あさま山荘事件は権力との戦いで英雄なのかもしれない。

子供の頃、忠臣蔵を見て
「どうしてここまでしなきゃいけないんだろう?」
わたしにはまだ理解できないのだろうと思って見ていた。

彼らにとっては学生運動と忠臣蔵はイコールなのかもしれない。

機動隊側からの視点の作品を初めて読んだ。
学生から見たら、機動隊は敵だろう。
たちの悪い喪黒福造に、
「心の隙間お埋めします。敵は権力です。」
とそそのかされた学生たち。
機動隊は巻き込まれたでけだ。

佐々氏は日本の治安のため長い間尽力してくれた。
だが、お子さんにとってはいいお父さんではなかったかもしれない。
「お父さんと出かけたのは、ヒーローショーと数回しかない。」
と言われたそうだ。
お子さんたちに伝えたい。
あなたのお父さんは本物のヒーローだよ!と。

多くの機動隊の子供たちも父親不在で育っただろう。
機能不全家族がたくさんできてしまったかもしれない。
たちの悪い喪黒福造の思惑通りになってしまった。

当時学生運動に参加していた人の話。
学生たちと機動隊が衝突寸前というとき、
「石焼ーき芋~」
と焼き芋屋のおじさんの声が聞こえてきた。
学生、機動隊共に笑いが起きたという。
立場は違えど、日本を良くしたい、日本を守りたい、気持ちだったのだろう。
そこに日常を一生懸命生きる焼き芋屋のおじさん。
私たちが目指すべきは焼き芋屋のおじさんなのだろう。


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