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メタボリズム建築の過去・現在 ルポ    「人、生活が無いと建築は生きてはいけません。」

どーも、おっちーです。
先日東京大学にて行われました「メタボリズム建築の過去・現在・未来」というシンポジウムに参加させていただきました。
これは今年に決定した宮崎県の都城市民会館の解体を受けて、DOCOMOMOジャパンが主催して今後日本におけるメタボリズム建築とどう向き合うべきかを議論するものでした。
3部構成のシンポジウムであり「過去・現在・未来」と題して多くのパネリストによる発表と質疑応答が繰り広げられました。私は時間の関係上、第二部までしか見れませんでしたが、この問題やその他のメタボリズム建築の保存に関わった人の意見や担当した市の職員といったあらゆる視点で建築に関わった人の意見を聞くことができました。

それは、

●日本イコモスは今後の建築の保存のあり方を再考してほしいという事
●建築の保存、継承に大して建築の専門家は主役には決してなり得ないという事
●竣工時から保存、改修を継続的に考える事、建築の終活を考えよう

の3つです。

少々厳しい見解にはなっていますが、私自身は「施工の神様」という建設業界の求人サイト内ですでに厳しめのコラムを執筆しています。

今回はこのシンポジウムの中で実際に保存を進めた人たち、そしてイコモスの意見を聞くことで見解が変わるかと思いましたが、覆るどころかむしろ確信に変わりました。上記の3つを中心に書いていきたいと思います。

●日本イコモスは今後の建築の保存のあり方を再考してほしいという事

はじめに日本イコモス理事の山名氏の発表をベースに進めていきたいと思います。
山名氏は自身の発表の中で、丹下健三の山梨文化会館、そしてサヴォア邸、三菱一号館を例にあげていました。
山梨文化会館はその後に保存の経緯が発表されていたので流れに沿った内容なのですが、後の2つの例があまりにも極端すぎており、どうも理解し難いものでした。

例えばサヴォワ邸は個人住宅です。
用途や規模や保存、活用の仕方が全然違います。

そもそも比較対象にするのが全く筋が違います。
三菱一号館も元々銀行や商社として使われた事業用途です。規模も同様で、市民会館より小さいです。
つまり保存におけるコスト、リスク、リターンが異なり主張になってません。
そして私が一番気になったのが、これらの建築が「運よく生き残った」という皮肉を頻繁に口にしていました。
無責任な発言です。もし不運ならすでに天災や人災で崩壊してます。
本来の問題に背を向けているとしか思えませんでした。
そして何よりも愚策となったのが「ヘリテージアラートの発信」です。
これは日本イコモスが「文化的建築の失われる警告」を発信したものです。

しかし、この警告がニュースで報じられ、市民を余計に困惑させてしまったのです。
(今回都城市役所の担当の方もいらしており、そう述べていました。)
これにより、余計に市民間での議論や展開を硬直させてしまったのではないでしょうか?。
また都城市民会館とは別に島根県の「出雲大社の社」の解体の件でもヘリテージアラートを飛ばしているのですが、
この時も市民を困惑させてしまったとやはり島根県の職員が述べています。
(島根県の職員も来られて登壇され、述べられました。)

結局のところ、「世界的機関」の威を借りて警告をしてきた「よそ者の意見」なのです。そのことに対してのイコモス側からは反論、意見はありませんでした。
更に都城市の職員が、
「10年前に一度覆され、その間九州大学も含めた引取先を市が模索していたのにも関わらず何もその後反応が無かった」と言う意見に対して、山名氏は

「遠いから何度も行って活動はできなかった。」
と言う返事をしました。
これはどういう意図での発言かはわかりませんが、
市民(職員)からすれば「結局関心が無いんじゃないか」と取られる意見です。
そこを理解していたのか、疑問に残ります。

●建築の保存、継承に大して建築の専門家は主役には決してなり得ないという事

中銀カプセルタワー保存プロジェクトの代表の発表が非常に強い印象を受けました。
彼はカプセルタワーの見学ツアーや紹介する本をクラファンで出したり、メディアにも多く発信して、カプセルタワーを多くの人に知ってもらうべく活動されています、
そして重要なのは代表の前田さんは建築の専門教育を受けてなく、ただカプセルタワーが気に入った「普通の人」です。
最後に色んなカプセルがさまざまな魅力や個性をうむ「襷坂48」みたいにしていきたいと述べていました。
そして印象的なのは質疑のやり取りでした。

「このプロジェクトを学会や建築の専門家と共同でやっていく予定は無いのですか?」

「ありません、僕らはこの建物が好きで、残していきたいという気持ちを持った集まりでやっていて。それ以上の事は無いです。」

この応答に不服だったのでしょう、質問者は更にこう返しました。

「けど好きという、いわば精神論だけでは厳しいでしょう?規模的にちゃんとビジネス的な展開もする必要がある訳ですから、ちゃんと専門の人に指示を仰いだ方が良いのでは無いですか?」

「いえ、元々民泊として貸し出したりレンタルしたり事業展開はこちらでやっているんです。今は買い手を見つけるかの状況で利用方法を考える段階では無い、私達でやってきているんです。」


私はこの前田さんとは少しお知り合いではあり、この問答の後少しお話ししましたが、「建築の人たちに発破をかけるために煽りました。」
と語っていました。
我々は反省すべき内容だと思います。

結局建築の専門家と呼ばれる人には頼らない、自分たち主導で魅力を発信して、保存に努めていくという気概が感じられました。

またこれは本質として建築の専門家、もしくは建築学科で高い意識のもとで建築に取り憑かれた人が語る建築の魅力は保存する原動力としてはうまく働いていないと言う事を示してくれているようでした。
実際建築の専門的な知識がある、もしくは知識や文化自体に関心がある人と言うのはごくわずかです。
そして、建築という公共性を持ったものを利用する人というのは、大半が建築の専門家が語られる言質に関心はありません。
そして何より、そういった、建築の専門性、もしくは専門的な嗜好を持ち合わせていない人が主導となった活動はカプセルタワーの保存活動を見ればわかりますが活発で勢いが感じれました。
こうした一連のムーブメントを参考にして、建築の保存を叫ぶ人、「建築の魅力がなぜ伝わらないんだ?」と嘆く人は反省、学習をするべきではないかと思います。

建築における真の主役はそれを利用する人です。

改めて再確認する必要があると感じました。

●竣工から改修に向けて、建築の終活を考える。

最後ですが、山梨文化会館についての改修活動のケースから建築の終活という点について書いていきます。
この建物はくしくもイコモスの理事が「運よく生き残った」と述べている建築でもあります。
山梨文化会館の事例ののシラバスで非常に重要なことが述べられてました。
それは時間をかけて進めていく「漸進的保存」という言葉です。

つまり、短期間で改修してお終いでは無く、長期的に実施していく事、絶えず恒久的に変化していく事こそが「メタボリズム」の真の理念なのではないかとという事でした。
例えば、この山梨文化会館を例に挙げますと、元々YBSやサンニチ印刷が入っているのですが、技術の革新に伴い、新聞をする大きな輪転機が不要になりスペースが発生し、スタジオとして新たに活用できた。という風に長期的に起きた変化に対応した使い方を実践してきた事、そしてやはり、利用者および市民が関わっている事です。
人間に当てはめると遺産相続や遺言、その後の処理といった「終活」は元気なうちに始めるべきである。と言うのが一般的です。建築も竣工してからが終わりでは無く。建築の役目を全うすること、そしていつか無くなる時のための事を考えることが大切なのではないでしょうか?

●後記

私はこの建物が解体される事、それは非常に残念であり同時に「仕方ない」と言うのが正直な気持ちです。
そしてメタボリズムという建築の理念、あり方は否定しません、むしろ賛同します。
建築は生き物のようなもので、ずっと同じ形であり続けられるのは不可能だと思います。そして、本来使う人の使い方に応じて形も含めて変化していくことが建築の理想形だと思います。
つまり人の生活、営みが無い限り、建築は生き続けることはできないのです。

今回のケースを総括し、今後の課題に向けて取り組まないとこれからも建築の解体が進み、文字通り「建築の未来はありません」
建築の世界に身をおく自分も含め、より謙虚に建築は何の為に、誰の為にあり続けるべきなのか考え直す機会では無いでしょうか?

ではでは

おまけ

記事で述べた中銀カプセルタワーの保存活動ですが、私自身もカプセルタワー見学ツアーに参加し、その内容、魅力、問題などを動画にして配信してます。
私なりのリアクションです。興味があれば是非


動画も含め、建築を「伝える」「教える」コンテンツ、場を作る事を目標としております。よろしくお願いします。