お久しぶりです・改

みなさん、お久しぶりです。
一年ぶりにnoteを開きました。
私が何か書きたいと思うときは、頭の中で考えが回り続けて溢れ出しそうになっている時らしくて、1年間それがなかったということになります。
それがどうしてかと言うと、一つは少しずつ他人との交流を再開していったことで、溢れ出しそうな思考を受け止めてくれるような人を見つけられたからだと思います。
また、他人との交流それ自体で時間的な余裕も少なくなっていたからということもあります。
久しぶりにnoteを開いたのは、特に何か書きたいと思ったわけではありません。バイトを辞めて暇になったので溜まりに溜まったメールを確認していたら、いいねの通知のものが何件か来ていて「あ、なんかあったな〜」と思ってアイコンをタップしただけのことです。
そうして開くと、2年前、17歳の痛々しい文章が並んでいて、しかも結構多くの人に読まれている。私は恥ずかしさを覚えつつ片っ端から読んでみることにしました。
そしたら、自分の文章、なんだかやっぱり好きなんですよね〜。
加工した顔とか特技、人間関係など、自分自身が好きなものをSNSに載せることが多いように、2年経っても自分の文章が好きなのは変わらぬままでした。
今も何かを考えてばかりの人間であることは変わってないから、文章を書かないと私がもったいないような気すらしてしまったのでまたこうして文章を書いています。

とは言っても、2年の月日が経ったので私の考えや精神的な成熟度もだいぶ変わっているので、2年前の記事にはツッコミどころが多すぎるというレベルじゃないほど点在しており、次回以降の記事からは、完全な自己満足ですがそれらの記事に対して今思っていることを論っていくような事もしてみたいと思っています。(2022.8.19追記 すみませんがモチベがもう無くなりました。飽き性を遺憾無く発揮していきたいと思います)

そうするにあたって、あの頃と今の考えの違いを決定的にした出来事をまとめておきたいと思います。(もちろん自分が気づいていないだけでターニングポイントになった出来事は他にもあると思いますが、自分が大きく思い当たるものだけ挙げていきたいと思います)

一つめは、先にも挙げたように、他人との交流が増えたことです。
正確には、学校という狭い世界の人間関係に囚われた交流を断つことができ、自分が関わりたいと思う人とそうでない人をはっきり意識しながら人間関係を構築できたことでしょうか。
そうでない人との関わりを全く持たないということはきっと誰しも不可能ですが、私はまず、学校生活に囚われすぎて関わりたい人・関わりたくない人の区別がついていなかったので、それを意識するには訓練が必要だったようです。
その過程で一時期はかなり捻くれ、今ではかなり柔らかくなったと思います。
ちょうど去年の記事を書いた時は絶賛捻くれ期でしたね。自分でもそう書いているようです。
でもその捻くれ期のおかげで、自分の好きなこと・嫌いなことの輪郭が以前よりもかなりはっきり見えるようになりました。思い出したくもないような恥ずかしい言動が多い時期でしたが、自分にとって必要なものだったと思えます。

二つめは、自分が発達障害だと診断されたことです。(ウリにしたい訳ではないです。アイデンティティだとは全く感じておりませんので)
以前は私も、いわゆるHSPのブームのお陰で私もそのような人間だと思い込み記事まで書いていましたが、普通に脳の障害だったみたいです。
それで諦めがつくとか言い訳にできるとかではなくて、ただ自分の考えや感覚がマジョリティとは違っている部分があるということが医学的に証明されたことで、自分はなぜ人と比べてこうなのか、と延々と悩むことが少なくなったことはかなり大きいです。
ただ、それを踏まえてだからどうすればいいのか、と言う悩みがなくなることはありませんが。診断が降りたことで多少の指針があったり医療に頼ったりできるのはありがたいですが、所詮スペクトラムで、自分の感覚は自分にしかわからないので、結局は自らの脳で結論を出さなければならないのです。

話が逸れましたが、大きいものはそのようなところでしょうか。
この2年、様々なものと出会い別れ、多くの諦めもありましたが、自己や自他への問いかけを続けることは辞めませんでした。同時に辞めなくて本当に良かった、という気持ちもあります。
2年前のあの日、私は思考を放棄して死んだように生きるか、はたまた思考に飲み込まれたまま多くのものを棄てて生きるか決めかねていたようです。今の私がとっている行動は、その中間であると言えます。
思考を放棄するのは悪ではなく、適応の一種であると今では思えます。
ただ、全て棄ててしまうことはしないで、常に適当な距離をとりながら社会の中で生きていくことを選んだ今が一番苦痛なく暮らせています。
結局は両極端な考え方は良くない、というたったこれだけのことに、あの日の私は気づくことができませんでした。なんと未熟で可愛らしい。
今の私にもそんな可愛らしいところがたくさんあるのでしょう。でも私は格好良く生きたいのですよ、正月の初売りでメンズの財布を買ってしまったし。(人に言われるまで気づかなかった。だってそれが気に入ったんだもの)
そんな可愛らしいところを一つずつ改めるためにも、問答を繰り返しつつ多くの知識と経験を取り入れたいです。
でも私は、この間バイトを辞めてしまいました。



あの、お金ください。今一番読みたいのはウパニシャッドの日本語訳です。

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